先の戦争に思う
私の職場
いわなの郷では
例年以上のたくさんのお客様に来て頂いてありがたい限り!
反面、疲れ切っていますが、
今日は休み。水曜定休日。
今年もお盆
そして
終戦記念日が近くなり
広島長崎の記念日を終え
疲れた頭で
思うところを書いてみた。
1 太平洋戦争での原爆開発
このタイトルからは
アメリカの原爆開発
マンハッタン計画を想起する人も多い。
しかし
日本も原爆開発をしていたことは
ここ数年だったか
明らかになっている。
原爆に必要なウランを
福島県内でも
採っていたことに
驚く。
福島県石川町が
その場所に当てられ、
子供達・生徒が
終戦まで採っていたことが
この記事では語られている。
「生徒が国策に翻弄(ほんろう)された悲しい時代」
と上の記事では評されている。
私自身は
福島に来てからもうすぐ7年だが
戦中
学生だった80代の方に
松根油を取った話を聞いたことがある。
石油禁輸となり
油がないので
松から取れるわずかばかりの油を取っていたというのだ。
特攻はじめ石油替わりにしていたというが
どこまで使われたのだろうか。
また、
全体主義 対 資本・共産主義
のような図式化で
第2次世界大戦を捉えれば
日本は
必ずしも全体主義ではないものの
独伊の全体主義側に属したことから
広島慰霊碑にある
「過ち」になるが、
もっと広い視野から歴史を捉えなければ
見えないことも多いに違いない。
2 戦争まで そして 戦争後の流れ
調べれば調べるほど
日本の第2次世界大戦参戦は不可避だった。
直接の
ABCD包囲網
石油の禁輸
米国に対する宣戦布告の遅れ
日独伊三国同盟
真珠湾奇襲攻撃への同意の仕方
真珠湾攻撃をわかってやらせた米国の強かさ
なぜか真珠湾攻撃の日は非番だった米兵たち
等々。
すぐ挙がるだけでも
これだけ
不可解なことがある。
もっと言えば
広島に原爆投下された日は
地元兵士の訓練日だったとか
当時の兵士は
えらく悔しがっていて
通常なら絶対撃ち落せた
と語っている。
通常なら考えられないことが実は多すぎる。
戦争に向かい
かつ
日本が負ける
もう決まっていたかのようだ。
戦後
全体主義を駆逐して
戦勝国で国際連合を作り
米ソ両極体制(資本主義対社会主義)の枠組みを作った。
ソ連はロシアとなったが
中国(中国共産党と呼ぶべきか)が
ソ連の代わりになりつつあるようにも見える。
なお、
日本参戦の一つの意義は
アジアを中心とした
植民地を解放したことだ。
中韓を除くアジア諸国は
日本の貢献を高く評価している。
最大の敗者は
日の沈まない国の
植民地をなくした大英帝国だという人もいる。
時折
話題に出す
落合莞爾氏は
負けた方がシナリオを作る
諏訪の軍法と呼ぶ。
日本は
戦争に負けはしたものの
一つの理想である
植民地解放をやってのけたのは
大航海時代から続く500年にもわたる
帝国主義を終わらせたことを
もっと知るべきだし、
日本人は誇りを持つべきだ。
3 フクシマフィフティ
話がそれるようだが
広島の8.6に関連して
映画「フクシマフィフティ」の
原作者・門田隆将氏のオンライン講演会を拝見した。
後半のわずかな時間ながら
映画のことに触れられていて
引き込まれた。
原発が危ないときに
ベントする人を募る。
もちろん死ぬかもしれないことだ。
その際の緊迫感に圧倒される。
ベントの説明も
風船にたとえて
風船が割れないように
今以上空気が入らないようにすること
と大変わかりやすい説明だった。
原発が大災害にならなかったのも
戦争で驚く力を発揮したのも
コロナが蔓延しないのも
日本はずっと
上層部はバカだったが、現場力に支えられている
という趣旨のことを話されていて
全くその通りと思う。
しかし
一方で
私は違う見方もできるかと思う。
渡部昇一氏は
「偉人も歳をとって突然間違いを犯すことがある」
という趣旨のことを述べられている。
印象的だったのでよく覚えている。
例えば、
真珠湾攻撃に賛成していた石原莞爾。
石油がなくなって
海水から石油が取れるという
詐欺話にまんまと引っ掛かっている。
維新まで遡れば
西郷隆盛。
西南の役でわざわざ死にに行くような戦争を起こしている。
両者とも
上の話に沿って考えれば
シナリオ通り動いたんじゃない?
とさえ勘ぐりたくなる。
シナリオがあるのだとしたら
世界単位で組み立てているはずだ。
実際に
落合莞爾氏は
その辺りを詳細に語られているが
ここでは紹介にとどめる。
4 すでに行くところまで行ってしまった
実は核兵器(原爆)ができてからは
本当の意味の戦争はできなくなってしまった。
核抑止力
核兵器を一回使えば
地球はなくせるのだから。
その意味では
広島・長崎への原爆投下で
すでに行くところまで行ってしまった!
それでも
人類はその歩みを止めず
戦後75年目の今年2020年まで
今までの流れを引きずっている。
一方で
もうすでに変化の兆しは多く出ている。
その筆頭はコロナだ。
自然との共生を
強くメッセージとして
発している。
見方を変えれば
人間が作った文明は
科学技術の進展と相まって
自然からどんどん乖離して
もはや
バベルの塔をなしている。
グローバリズムに象徴される
バベルの塔たる
人間の傲慢を
あざ笑うかのように
コロナウィルスが
自然に返そうとしている。
さらに別の見方をすれば
ギリシャから始まる
奴隷を市民が使う流れを
グローバリズムは踏襲して
奴隷が自由市民である錯覚のもとで
繁栄しているとも見える。
そう考えれば
現在の地方創生議論の一つ
人口減少危機は
奴隷を増やしたい
つまり
奴隷的に労働する人を増やすためには
人口が増え続けた方がいいという前提に貫かれている。
何度か書いたが
WEF 世界経済フォーラムは
来年2021年のテーマを
グレートリセット に選んだ。
陰謀論的には
グレートリセット 後に
NEW WORLD ORDER
新世界秩序ができる
ということになるが、
いわゆる今までの延長上にあるものではないだろう。
それは・・・
次章に譲る。
5 どうなるか より どうしたいか
ここから論調を変える。
ここまで散々
「どうなるか」
について書いてきた。
「どうなるか」は「どうしたいか」の参考になるが
あくまで参考程度だ。
本当の
「どうしたいか」は
自己の内面しかない。
「どうなるか」は外側
「どうしたいか」は内側 なのだ。
今までとの繋がりで言えば
もっと
「どうしたいか」を大切にする時代になると考える。
「どうなるか」を大切にしたのは前時代のものだ。
それも致し方なかった。
私自身に厳しい反省にもなる。
外側だけを見て生きてきたから。
人の評価を当て込んで生きてきたから
本当の内面「どうしたいか」は出てこない。
個人的には
炭焼き自体
人に評価されるためだったかもしれないと
ゼロベースで見ていこう
と思う。
クラウドファンディング(CF)が象徴的な話だ。
大航海時代以降発達した株式会社の考え方は
出資者に株主になってもらい
その資本金を会社の資金にする。
そのため
大金持ちに投資してもらう必要があった。
CF(クラウドファンディング)は
共感を得て出資してくれる人に支えられるので
金持ちである必要はあまりない。
背景としての
生き方の多様化はある。
みんな同じお金の使い方をするわけでないし
それを許容する社会にもなってきているのだ。
共感さえ得られれば
「どうしたいか」は実現しやすい。
当然、利己的なものでなく、利他的なものになる。
面白い時代に入ることがわかっている。
さらに先ほど
フクシマフィフティの舞台
福島第一原発の廃炉作業
多くの方々が携わる廃炉作業に
頭がさがる思いだ。
廃炉作業は
ただの後片付けだと見ることもできるが、
望む未来を実現する場
と見ることもできる。
「どうなるか」も大事だ。
でも
もっと
「どうしたいか」
を大事にしたい。
戦争は どうにもならないこと だった。
今、自由な社会になっても、
それでも
どうにもならない!
と思ってしまっていたのは
私だったんだ。
まずその扉を開けられるように。
そして
香港の政治指導者 周庭氏の言葉も印象に残る。
今日もありがとうございました!
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