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知性は勇気のしもべである 脱人間論より

これは
小林秀雄氏の言葉。

「脱人間論」執行草舟・著  に繰り返し出てくる。

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この本の言いたいことは一言で言えば

「勇気を持て」


読後の感想なりを書くのが
難儀する一冊だ。

500ページを超える著作であるだけでなく
現代人には理解しがたい内容ばかり。

一方で
内容はいたってシンプル。

同じ内容を
手を替え品を替え
繰り返しているだけとも言える。

それにも
意図があってのこと。

一歩を踏み出すために
(私のように)
躊躇し続ける人のために
繰り返し繰り返し
同じ内容を続けた
わけだ。

どんな方法を使っても理解は難しい本書を
理解できる方も少数いる
と信じている。

理解できるかもしれない
ごく少数の方に向けて
書いてみよう。

そもそも
私のnoteは万人ウケ狙ってないので
さほど
心配はいらない。

なお、私の言葉を多用しているので
本書の意図と若干のズレもあることを
ご了承願いたい。


1 正気・善人ばかりの世界


現代人は正気な人・善人ばかりだ。

狂気もない。

悪人もない。

いたって
つまらない人間ばかりとも言える。

でも
それは社会の枠にはみ出ないように
同調圧力や
社会の制約に
がんじがらめになっているだけの話かもしれない。

民族の凋落(ちょうらく)は、集団の<正気>が頂点に達したときに一致する。(エミール・シオラン)


信じられない言葉だ。


正気でない人が多くなったら、世間はどうなってしまうだろう?

それでも
狂気が世界をつくってきたことを知るべきだ。

簡単な表現をする。

ミシェル・フーコーは、
「狂気の歴史」の中で

「自分たちを正気だと信じて疑わない者たちが、自分たちと少し違っている人間を全て精神病に押しやっていったという歴史に気づいてきたのだ。その段階から確実に人類は滅亡に向かっていったといえよう。」(「脱人間論」より)

との意味のことを言っているという。


具体例は秀逸だ。

・・・いまの精神医学では、はっきりと織田信長、カエサル、レオニダスなどの偉人たちを狂人としている。・・・(「脱人間論」より)


もう歴史上の偉人は皆、狂人にされてしまう時代を生きている。
別にヒトラーだけでない。
おそらく全ての歴史上の人物といっていいくらいだろう。

あえて言えば、
教科書に載ってる人は
皆キチガイなのだ。

「現代では」 という注意書きが必要となる。


裏を返せば

狂人が歴史を作ってきた。

正気の人が作ったのでない。

正気の善人に
歴史はつくれないのだ。


2 奴隷化・家畜化した現代


言葉がきついと思われたかもしれない。

現代の正気で善人の皆さんには。

でも
あえてこの言葉を
著者は繰り返す。

現代のグローバル経済は
古代ギリシャの市民と奴隷のような関係を
美しい言葉や表現で覆い隠しているだけに見える。

また
生活のため
食っていくために
家畜に成り下がっているようにも見える。

もはや
ダボス会議で
70億人以上の人口がいる
世界の資産の半分を
たった8人で貪っている現実が公表されてから
もうすぐ3年になる。

世界中を混乱させている
コロナショックでも
GAFAは資産を増やし続けている。

裏を返せば
資産を減らしている人が多くいることに
気づく必要がある。

認めたくなかったのは私だけでないだろう。

でも
よくよく考えてもらいたい。

奴隷にも家畜にも
歴史をつくることは出来ない。


3 人間主義 ヒューマニズムとは

正気で善人が増え
奴隷化・家畜化した背景は
現代人が当たり前に思っている
この
人間主義(ヒューマニズム)が原因だ。

誰しも
文化的な最低限度の生活を保障してくれる
権利を有する
人間主義が
なぜいけないのか?

わかりやすい言葉として
古代ギリシャのソロンの言葉を引く。

我々は人間なのだから、人間のことを思わなければいけないという人たちに従ってはならない」(「断片集」第四十五番)

つまり
「人間のために・・・」という人間主義 ヒューマニズムはウソだと言っている。

人間のための
権利
保障 は全て自己を超克することを放棄した生き方だ。

私なりの言葉で言えば
生活保護は
働くことを放棄した
人間らしからぬ生き方だと思う。

なぜなら
働くことは喜びであるはずだから。

一応
現代のしきたりとしては
生活保護者全員が働けるわけでない
こともわかる。

でも
できることはやったらいい。

人並みにできなくても働ける
あるいは
できる範囲を作ることも
社会の責務だ。

前章でみた
「自分たちを正気だと信じて疑わない者たちが、自分たちと少し違っている人間を全て精神病に押しやっていったという歴史に気づいてきたのだ。その段階から確実に人類は滅亡に向かっていったといえよう。」(「脱人間論」より)

と同様な発想で

自分たちのレベルまでできない人は
全て生活保護にしてしまえ
という乱暴さが隠されていることを知るべきだ。

ワークライフバランスや
障碍者雇用など
現在は過渡期で
難しい面もあるが
今後社会の責任を全員で分担できる世の中になることを信じる。

生活保護だけでなく
権利や保障が
人間のためと言いながら
実は
自己都合のご都合主義であることは
自覚すべきだし

その根源の
人間のために・・・
なんていう人は
気をつけなければいけない。


日本の漢字を見ると

人の為と書いて、偽(いつわ)りと読む

漢字はよくできている。


また
私の尊敬する高橋博之氏は
こんなことを書いている。

高橋氏の話はわかりやすい。
私もパクらんとと思う。


趣旨は
同じことと捉えていい。


4 結論としての脱人間


著者の執行草舟氏は
結論として
現代の人間をやめること

脱人間を主張する。

それは
本書に何度も何度も繰り返される

当時のユダヤ人が
奴隷の身分ながらも生活に困ることなく
精神が堕落しきった現状打破して
エジプトを離れた
出エジプト(エクソダス)

ではない!

今ここで
脱人間として生きること

具体的には
著者自身が実践される
武士道が
そもそも
脱人間の生き方だという。

実際に著者は
現世の人は大嫌いだと言う。
常に
読書を通して
先人と魂を通わせているようだ。

そして現代は
そのための条件ができていることも指摘される。


5 電脳空間の活用

インターネットの普及は
驚くばかりだ。

もはや
顔も名前も知らない人と
SNSを通してやりとりができる。

そこなのだ。

脱人間とは
別に目の前の人間と付き合わなくていい。

分かり合える人と付き合うこともできる。

現代はその点で面白い。

内村鑑三は
「脱世間」と言う言葉で
昔の宗教者は世間と隔絶することで
「脱世間」を通して生きてきたと。

現代は
必要最小限度の世間との付き合いをすれば
「脱世間」も可能だ。


それが「脱人間」なのだ。

現世の人間に理解を求めなくていい
そんな意味合いで捉えている。


6 私の課題に対して

ここで驚くべきことに気づく。

私自身
地元のヒエラルキー(「上下関係」と言う訳で良いか)の中で
煩悶している。

つまり
移住者が報われない現実を目の当たりにし続けてきた。

それには
その土地固有の考え方があり
ヒエラルキーがあるから
そう簡単でないのは当然だ。

現実に煩悶し続けた。

諦めてしまえば簡単だが、
地元の人とうまくやることばかり考えてきたが、
ここに一つの答えがある。

脱人間で生きればいいのだ。

つまり
目の前の人に理解されなくていい。

直接会わずとも
理解してくれる人に共感を集めたらいい。

たったそれだけだ。

これから動こうとする私自身に
勇気を与えてくれた。


7 知性は勇気のしもべである

繰り返しになるが

知性は勇気のしもべである(小林秀雄)

よく言われることだが、
行動が全てだ。

行動のための勇気を得るための知識だ。

批判するための知識はいらないのだ。

自戒を込めて。


怖さにも囚われるけど

勇気を持って進もう。


こちらの講演会も力になった。

まだ全部見れてないけど、西野氏の裏方・田村Pの考え方は面白い。


テレビADのフリーランスになって・・・という話は 

なんかできるんじゃね

と思う。


さあ

勇気を持って進もう。



今日もありがとうございました!

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