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流れてくれれば良いのに


 臭う。一晩で臭いが強くなったようだ。一張羅の半纏から鼻をつく臭いに我慢ができなくなった。流石に汚いので洗わねばならない。息子や娘が寝て静かな部屋。夕飯のラザニアの洗い物をして、我が家の主役のイタリア製のテーブルに、未だに馴染まない気もする、屋号名入り半纏を出してきて水を入れる。水を入れたらすぐに、黒くなる。雨と埃の路上なら当たり前だ。昔の浪人等はこんなもんだったろうと思うのだ。ちからを入れて洗うと一気に水の色が変わる。どうせなら白い帯も洗っておこうと思った。

 "そして、秋の夜風に吹かれて、バンバンと水を切る瞬間が心地よい。
 昔から、たまらなくすきである。この一瞬は信仰のような感覚。
 星が空に埋もれていて、奇跡な確率で出会う人達、こころの天秤の揺れ方。
 良心を握り潰すような念も、流れてくれたらよいのに。"

 この風合いの着こなしを海外の人はすきのようだ。破れ方や褪せ方を真剣にみて、話しかけてきたりカメラを向けてくる。しかし、そんな事はヴィーナスの喜びであって、どうでもよい事である。
 人と人との境を無くした時に変化する内なる気根のダイナミックさが、僕を苦しめまたジュピターへと導いている気がしてらならない。

 宮沢賢治の言葉が耳をかすめる。
"どうか探して、ほんとうのさいわいを"

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