推しを家族と思ってきた話
推しを家族と思うって、尋常ではないと思うんだけど。私は機能不全家族で育ち、コミュニケーションを知らずに43歳くらいまで歯科衛生士という国家資格もあるから、職場も嫌になったりしんどくなったら別の歯医者にうつれば良くて。2~3年したら転職しても問題なくて。親も厳格で、甘えた記憶あまりない。私の容姿や、実家が裕福なことで甘えてきたようにみられるけど、甘えを許されたことはほぼない。
だから、私は他人に対して冷徹で冷酷な一面を持っていて、表に出さないけど、「他人に対して優しくできる。とことん」それは、他人に対して無関心で、友達に対しても怒ることをあまりせずに、穏やかに優しくしてきた。それが、spoon配信者と絡んで、企画して怒ったり、泣いたり、笑ったり大変感情が揺さぶられ、あったことも無い推しと4年間ほぼ、画面上でコミュニケーションをし、喜怒哀楽をぶつけあって、いまもspoon配信者と交流をしている。
去年、1年前、母親が脳溢血でコロナ渦で、病院に入ることも出来ず、iPadの画面でみて、話すことも触ることも出来ないまま、大好きな母親は亡くなった。享年65歳だ。年金も貰わずに、メイドのように、裕福な自営業の祖母と渡る世間は鬼ばかりのような、泉ピン子ばりの格闘を年がら年中して亡くなっていった。
そのあとに、私はあろうことか「神推しSuper」とか神推し!とか叫びまくる推しのひとりの「spoon配信者ひかる」さんという、新宿ゲイバーで一世を風靡し、spoon配信者としてはspoonの顔にまでなって、FRIDAYという週刊誌にもインタビューされるような、一般人だけどぶっ飛んだすごい人にも茨城県水戸市まで会いに行った。
推しに「リア凸」という、「いま会いに行きます」みたいなことをした。インターネットとリアルを繋ぐことはこれまでして来なかったのは、リアルはリアルだし、友達もいるし、ことねぇというキャラクターは、架空のもので、現実と繋げては行けないとおもってきたからだ。
だけど、私はひかねぇに会いに行ったのは、お礼を言わなきゃいけないくらい、ひかねぇにお世話になったからです。
もう4年のうちの後半2年は、この方はまるで「家族」のように私に接してくれた。推しである。推しだ。私は混乱した。1年、この方は画面の向こうの雲の人で、芸能人とか声優とかそう言う存在で、私にとっては!!素人で芸能人でもないし、声優でもないのだけど!それは私の神推しSuperという10人の配信者みんなそうである。素人配信者で、芸能人じゃないし芸能事務所に所属しているわけじゃない!
だけど、私にとって「配信者」は「芸能人」と変わらなくて。好き過ぎて、迷惑もかけたくないし、声だけ聞ければ良くて。逢いたいとか、友達になるとか、そういうことも全くおもってなくて。声だけ聞ければ良かった。
だけど、声だけじゃなくて、なんかもう、配信以外にも推したちは、私のために時間を割いてくれて、ひかねぇだけじゃないよ。皐月ちゃんなんて、私がこうにいに妬きすぎて苦しくて応援するのしんどいとき、DMで相談にのってくれた。ファンなのに、好きになりすぎていた時があって、なにかあったわけじゃないけど、しんどいときがあった。
それを別の配信者の推しの皐月ちゃんが、この人は普段は裏でやりとりするのを、配信者仲間とはしても、リスナーには一線をひくのに、たぶん、放っておけなくて、配信者との距離感を教えてくれた人だった。
むぎ。は、リスナーとの絡み方や、言葉使いや、こうふるまうことで自業自得になることや、配信者としてどうしたらリスナーとうまくやっていけるかを教えてくれた。
ふわりさんは、何度もやらかしをする私に根気よく、説明をし、見捨てられてもおかしくないくらい、ミスを披露したけど、「嫌いになりませんよ、こうするといいんですよ」ってずっと。3年だ。そんなことをずっと。
カニマルくんは、企画に呼ばれない私を、何度も何度も自分の企画に呼んでくれる。コラボあがっても使い物にならないことを言うしありえないことをコラボで叫んでも、カニマルリスナーもカニマルくんもフォローしてくれる。
とーやもゆらも、会ったことなくても友達のように、ここはだめ!こうしたらみんなこう思うし、これはやっていい、これはやっちゃダメと、友達との付き合い方をDM交流しながら教えてくれる。
そんな時間を割いてもらえるような、存在だったのか、1リスナーでもこうやって大切にする配信者たちなのか、それが推し10人みんな、やり方違うけど配信以外の時間も、人として温かいんだ、spoon配信者って。
たしかに、そこまで裏でやらなくていいし、そんなこと私だから仕方なくてされていたかもしれない。わからないそこは。でも、それがなかったら、推しがそこまで家族みたいにしてくれてなかったら4年もspoonに存在しなかっただろう。
そうしてくれなきゃ推さなかったということでもなくて、
推しが芸能人だったらこうはならなかったな、と思う。
推しが、好きだ。異性としてとかそうじゃない。「家族」じゃない、友達じゃない。でも、家族だと友達だと錯覚しそうなくらい、どれほど、私は心を支えられたのか、私が応援して推したというけど、もはや逆である。
なんなんだよもう。推しが好きだ。失いたくない。死なないで欲しいし、引退までずっと楽しそうに配信していて欲しい。声だけ聞かせてくれたらいい。余計なことまで望みそうになるじゃないか。あまり私に優しくしないでくれ。失うのがどんどん怖くなるんだ。
大好きな祖父も大好きな母親も死んで、喪失感を経験して。それでも私はまた人を好きになる。人間って凄いよね。人を愛するために生まれてきたと思う。キザだな臭いな。重たいな。私は。ウザイかもしれない。
世界が、変わろうとしているのを、みんな気づいているのだろうか。メディアは報道しない。推しに長生きして欲しい。いま私に出来ることで、文章で私はこれからも全国や世界に文章という刀で切り開いていく。それしか私には出来ないからだ。推しを文章という刀で守る侍に、私はなろう。
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