見出し画像

柴犬と黒猫。

小さい頃、拾ってきた小さな黒猫の子猫を、こたつの中で温めたけど、衰弱死させてしまう。


   雨の中、河原に子猫が、ダンボール箱に入っていて、なんとかして助けたくて。小学校3年生の私は、抱えて、洋服が汚れることも気にせずに、自宅に連れ帰り、タオルでふいて、ミルクを温めてスポイトで飲ませて、こたつで温めて。



   どんどんグッタリしていき、息を引き取った。

  私がもう少し早くみつけていてれば。雨の日じゃなかったら。



   声が枯れるまで泣いて。
   その黒猫を、家の庭に埋めた。


  人間のしたことを許して欲しいと。なんて残酷なことをしたのかと。誰なんだろう。捨てたのは。



   私が飼っていた柴犬は、ある時、来客者のおしりを噛んだことで、祖父はその犬を保健所へ渡した。

    私は保健所へ連れていかれる意味を知らなかった。



    ガスで殺されるとも知らずに。



   だから私はペットを飼わない。

  責任を負えないことは引き受けない。


   私は過去に12歳で自殺未遂したことがある。その年で世界に絶望したことがある。あのときは死にたくて堪らなくて、生きることが苦痛だった。

   それから30年も生きて、いま死ぬかもしれないとか、病気かもしれないとかなってきて、死にたくないと思っている。


    あの当時は、守りたいものも好きな者も無くて、生きようとさえ思わなかった。


   いまは、推しがいる。Xのフォロワーがいる。友達がいる。我が子がいる。


     好きなもので溢れて、人を好きになれたのに。私を好きになってくれる人も現れたのに。死が近づいてきている。



   なんて世の中不条理なのだ。いまは、死が目の前にある。死にたくないのに。死にたい時は死ねないのにね。




   子どもたちが好きだ。動物も柴犬も黒猫も好きだし、助けたかったのだ。あの日あの時、私は助けられなくて。だからいま、柴犬と黒猫を助けたくなるのかもしれない。なんのことやら。助けられたのだろうか私は今度こそ。




      明日、もし私が消えてしまっても
明日から推しに逢えなくなるかもしれなくても
   誰かの記憶に私は残るのだろうか?
 残れるといいな。あなたの記憶に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?