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【特別公開】≪工学的構築物としての小説1 ≫ 書き出しの現象学(作家へのロードマップ編)

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編。タイトルは『工学的構築物としての小説1 書き出しの現象学(作家へのロードマップ編)』。前回までの3回は具体的な小説を例に挙げたものであったが、今回は『工学的構築物としての小説』という観点に沿って、小説の書き出しについて述べたものになっている。

小説というのは何を書いてもいい自由な芸術だ。
どこから書いてもいいし、どんな展開がその後待っていても構わない。インモラル──背徳的な世界を描くのももちろん可能である。

しかし、最初の1行を書くと、2行目は1行目に拘束されることになる。2行目で、1行目と全く関係のないことを書くのは「工学的な間違い」なのである。

引用:工学的構築物としての小説1 書き出しの現象学(作家へのロードマップ編) 山川健一

Webサイト上にテキストの冒頭部分が特別公開されている。まずは、これををチェックした上で、わたしの感想を読んでいただければと思う。

わたしの感想

小説には「芸術的なエモーションの発露」という側面と「工学的な構築物」と言う側面がある。

いや、もうね、ケチのつけようがないです。その通りとしか言いようのない指摘です、はい。

エモーション(情緒、感情、情熱)だけでは読み手に伝わる文章にはならない。かといって、無味乾燥な文章が並んていても、それはつまらない物語に落ち込んでしまう。両者のバランスが、もしくは両者を最大限に飛躍させてこそ、相手に言葉では表現できない代物がようやく生まれる。

難しいところだとは思うけどね。

「工学的な建築物」と表現したのは、おそらく、計算によって設計や組みててが行わなければ、建物(小説)が壊れてしまうということなんだろう。

ただ、個人的な趣味で言えば、ギリギリ壊れかけの建物(小説)って好きなんだよね。ピサの斜塔よりも、今はもう無くなってしまった九龍城砦みたいな建物。ニンゲンのカオスがそのまま形として表現されているような感じの建物が。

九龍城砦みたいな……と勝手に思っている小説を数多く残している作家は、フィリップ・K・ディックだ。

彼の、たいていの作品はプロットやテーマが途中で逸脱し、ギリギリの線で壊れている。映画化された短編(「トータル・リコール」「マイノリティ・リポート」など)は壊れていない部類に入る。『ブレードランナー』はリドリー・スコット監督の映像化がすごかったわけで、物語としてはその元になった「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を薄めた感は拭えなかった。

フィリップ・K・ディックの作品は、10代の半ばあたりから読んできた。ただ、翻訳本を順に読んでいくにはなかなかたいへんな作家だった。大半の小説がすでに絶版となっていたサンリオSF文庫で発刊していたものであり、ただでも高価だった文庫本にバカみたいな高値がついていたからだ。後々、他の出版社から再販されたが、待ちくたびれてしかたなくサンリオSF文庫に手を出したこともあった。

フィリップ・K・ディックで、特に好きなのが晩年の、いわゆるヴァリス三部作(「ヴァリス」「聖なる侵入」「ティモシー・アーチャーの転生」)だ。「暗闇のスキャナー」や「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」あたりも捨てがたいけど、やはりこの3冊がディックの到達点だったと思っている。

ただ、長い年月をかけて読んできたせいで、すべての著作を思い出せないことも多い。話がごちゃごちゃに混ざっているときもある。まあ、それもディックっぽいといえば、そうなのかもしれないけれど。めちゃくちゃ難解だった創元推理文庫「ヴァリス」の新訳版(山形浩生翻訳)が出ていたりシて、読み直したいなと思っている。

命が尽きるまでにもう一度、読み直したい作家のひとり。それが自分にとってのフィリップ・K・ディックだ。


Text:Atsushi Yoshikawa

(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。

#オンラインサロン #私物語化計画 #山川健一 #小説 #書き出しの現象学

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