【特別公開】≪現代文学の構造分析 3≫ 『日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記』(誉田龍一)のワールドモデルに注目しよう
次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編。タイトルは『現代文学の構造分析3 『日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記』(誉田龍一)のワールドモデルに注目しよう』。前回に引き続き、"「私」物語化計画"に参加している作家さんの作品を取り上げた講義である。今回は、誉田龍一さんの小説『日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記』が選ばれている。
誉田龍一さんの略歴は次の通り。
1963年生まれ。大阪府出身。学習塾講師を経て、2006年『消えずの行灯』で第28回小説推理新人賞受賞。翌2007年『消えずの行灯 本所七不思議捕物帖』(双葉社)で単行本デビュー。以降、ミステリー、時代物を中心に執筆。また児童書も手がけている。
Amazon著者プロフィールより
Webサイト上にテキストの冒頭部分が特別公開されている。まずは、これををチェックした上で、わたしの感想を読んでいただければと思う。
わたしの感想
前回、前々回と同様、誉田龍一さんの小説『日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記』の内容には触れない。今回は「時代小説」について、軽く掘り下げてみる。
これまでいろいろなジャンルの小説を読んできたけれど、正直言って「時代小説」とはあまり仲良くなれなかった。ハマらなかったというのが正確なところだろうか。なので、その魅力を饒舌にしゃべることができない。
高校3年のとき、父親にこれを読めと、司馬遼太郎『坂の上の雲』を渡されたことがある。大学が決まって、暇そうにしていた時期だった。文庫本にして全8冊。本を読むのは日々の癖みたいなものだったので、素直に読んだ。でも、それほど感銘とか感動とかは受けなかった。
『坂の上の雲』は「歴史小説」に区分される。「歴史小説」と「時代小説」は異なるものだ。誤解を承知でぶった切るなら、「歴史小説」が過去の史実を元にしたノンフィクション寄りの小説であるのに対して、「時代小説」はフィクション寄りと言った感じだろうか。
ハマらなかった理由は、おそらく2つある。
ひとつは歴史嫌いだったからだ。歴史の教科書なんて、すでに終わってしまった過去の話をぐちゃぐちゃと書いているにすぎない、そんなふうに思っていた。日本史も世界史も最低限のお勉強はしたけれど、最後までおもしろいとは感じられなかった。過去よりも未来のほうがずっと刺激的だった。なので、読んだことがある「時代小説」もSF設定の時代物ぐらいしか覚えていない。
もうひとつは「時代小説」が年寄りの読む小説だと思っていたからだ。幼い頃、もうすでに亡くなってしまった曾祖母がテレビで見ていたのが「時代劇」と「大相撲」だった。隣に座って、一緒に見たりシていたが、まったく面白くなかった。このあたりのイメージと「時代小説」が被っているのだ。年をとれば、こういうものが好きになるんだろうな、そういう感じ。
気がつけば、『坂の上の雲』を勧めてくれたときの父親よりも上の年齢になった。相変わらず、「時代小説」や「歴史小説」とは仲良くない。SFのほうがずっと好きだ。「時代劇」なんてまったく見ない。「時代小説」や「歴史小説」にハマらないままなのかな、とか思ったりしている。まあ、どんなきっかけで好みが変わってしまうかはわからないけどね。
Text:Atsushi Yoshikawa
(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。
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