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【特別公開】≪小説と僕らの人生のプロット 1 ≫ "「私」物語化計画"

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編。タイトルは「小説と僕らの人生のプロット 1」。今回はタイトルの通り、プロットの話だ。

そんなわけで、今回はストーリーとプロットについて書きます。
プロットとは何か?
ストーリーとプロットは違う。
プロットとエピソードも別のものだ。

引用:小説と僕らの人生のプロット 1 山川健一 より

Webサイト上にテキストの冒頭部分が特別公開されている。まずは、これをチェックした上で、わたしの感想を読んでいただければと思う。

わたしの感想

Webサイト上に特別公開されている一文を引用する。

というのは実践コースの人たちの原稿が、軒並みプロット無視──というのは言い過ぎかもしれないが、複雑なストーリーを展開しているのにプロットが甘い作品が多く、僕としてはある種の危機感を覚えたのだ。

アイタタ……耳の痛い話だ。

実践コース課題2【小説作品の提出】で、これまでに書いた小説をいくつか提出した。昨年の12月のことだ。課題の詳細が書かれたWebサイトと、そのときにわたしが記したnoteを貼っておく。

わたしはプロットを作らない。

この場合のプロットとは、小説の舞台や登場するキャラの設定などのことだ。綿密に決めておく人が多いようだが、わたしはぼんやりしたまま書いていく。書きながら、うんうんと考える。なので、第1稿や第2稿が小説の設計図(プロット)となる。プロットみたいなものになる。思いつくまま(といってもある程度の自制はあるけれど)、小説は蛇行していく。

非効率的なやり方だ。小説に効率という概念を当てはめてよいのかは置いておくとして、とにかく時間がかかる方法だ。最初にバシッと輪郭を決めてしまえば楽なことは理解している。でも、それが出来ない。学校からの帰り道で道草を食っているようにふらふらしないとお家に帰って気持ちが悪くなるのだ。

どうして、こんなふうになった?

それは自分の中では一応の答えが出ている。これから書こうとしている小説のテーマが自分ではわからないからだ。たぶん、これが正解だと思う。例えば、これは犯罪小説で主人公が罪を犯さなければならなかった境遇を提示したいとか、これは恋愛物で女性がふたりの男性に惹かれてしまうが自らの足で未来を切り開こうとしている心情を描きたいとか、そんなものがない。まったくない。

単純な文章では語れない感情のカオスが表現できたら最高。この世に起こる出来事はすべて何らかの必然。そんなふうに思っている。だから、自分の中に奥底に潜む、もうひとりの自分と対話しながら、文字や文章を落としている。ダルいとは思いつつ、それ以外に自分のストーリーを見つける方法が見つからないのだ。

大塚英志は、いわゆるキャラクター小説を推し進めた人だが、彼の著作「物語の体操」を読んだときも、キャラクター小説ね……なんだか、カチッとしたシナリオが決められていて堅苦しいわ、これムリ無理、と感じてしまった。良い本だとは思うし、こういうタイプが好きな人なら参考になるはずだ。でも、どうしても肌が合わなかった。こういう小説の書き方もあるんだなとしか思えなかった。

ゴールは同じでも、スタートから途中のルートまでが異なっている。

それが自分にとっての小説なのかな、と。紙かPC上か脳内かは人によって違っていたとしても、神に選ばれし天才でない限りは、どこかの段階で設計図(プロット)が絶対に必要になってくる。もちろん、プロットで満足せず、プロットを自分の想像の限界まで広げて、もう息が出来なくなるくらいまで深めて、文章として鮮やかに体現できるかどうか、そんな問題が残されているんだけどね。それはまた別のお話。

ついでに加えておけば、小説にゴールなんてないと思っている。いくら書き直しても、どれが正解かはわからないし、正解なんてどこにも存在しないものなんだろうし、誰かに止めてもらわないと延々に小説の世界から抜け出せなくなってくる。

もし、大塚英志にひとつだけ文句を言うなら、「摩陀羅」が未完で、「木島日記」があれで終わり?なんてこともあるけれど、「多重人格探偵サイコ」だけはラストまで最初のテンションで突っ張っして欲しかった。後半のドタバタはひどすぎた。物語の終盤は大切だよ。小説のゴールではなく、物語のラストね。


Text:Atsushi Yoshikawa

(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。

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