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【特別公開】物語論(ナラトロジー)で「私」という物語を探る 3 ≪本論1-3 「欲望は幻想領域で呼吸するものだ」≫

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編の第3弾は『本論1-3 「欲望は幻想領域で呼吸するものだ」』。前回の『物語構造の最初の大きな特徴は、まず「欠落」がなければ始まることができないという点だった』に続き、今回は「欲望」について、さらに一歩踏み込んだ内容となっている。

Webサイト上にテキストの冒頭部分が特別公開されている。以下、主催の山川健一さんによる講義の概要動画とWebサイトのリンクを貼った。まずは、この2つをチェックした上で、わたしの感想を読んでいただければと思う。

以下、この講義を読んでの、わたし個人の感想だ。

わたしの感想

「欲望は幻想領域で呼吸するものだ」

幻想について、思いを巡らせてみた。

幻想とはとりとめのない非現実的な世界の話だ。そういうことになっている。ただし、完全に現実ではないかというとそうでもないような気がする。現実の端っこ、現実にぎりぎり足をかけたぐらいの空間でこそ、幻想は鮮やかな色を帯びてくるのではないだろうか。

ここでつかわれている幻想領域とは、まさに小説(物語)世界そのものだ。読み手が嘘だと感じてしまっては小説(物語)は失敗。もしかして本当のことではないかと錯覚させる仕掛けが必要になってくる。

幻想という文字を見て、そして聞いて、3冊の本が思い浮かんだ。すべて、タイトルは同じ。「幻想の未来」だ。

「幻想の未来」(筒井康隆)

たしか、初めて読んだのは中学生だった。描かれているのは、いわゆるディストピアだが、読んだ当時はそんな言葉なんて知らず、ものすごくエグいSF小説だと感じた。最低最悪の状況で、少しばかりの救いがあるのだけれど、よく考えれば実はまるで救済になっていない。「時をかける少女」から流れてきた10代♂は、この小説で筒康隆が天才だと確信した。

「幻想の未来/文化への不満」(フロイト)

10代の終わり、人間の内面が気になる時期がやってきた。フロイトとはその頃に出会った。「夢判断」「精神分析入門」の2冊を読んでみたが、あまりピンとこなかった。さまざまな事柄を分析するスタイルが、どうも公式的に思えて仕方がなかったからだ。同じ心理学の祖なら、ユングの方がずっとリアルに感じた。幼い頃からオカルト好きだからね。なので、フロイトからは遠ざかっていた。でも、「幻想の未来」は読み物としてシンプルにおもしろい。基本的に、文化論好きなせいもあるだろうけど。

「幻想の未来 - 唯幻論序説」(岸田秀)

これは名著。何度も何度も読んだ。岸田秀の「唯幻論」はとても刺激的だ。書かれている内容は決して小難しくない。いや、それが岸田秀の巧みさなんだろう。ひとつひとつの文章は平易だけれど、読み終わったあとにはこれまで見ていた世界の風景を一変させてくれるパッションとロジックが詰まっている。読み直すたびに、新しい何かが自分のなかにむくむくと芽吹いてくる最良の本だ。と書きながら、また読みたくなってきた。

幻想は決して、捕らえきれない白昼夢のような想像の産物だ。そういう点では未来も同じ種類のものなのかもしれない。ホモ・サピエンスってやつは時間軸の向こうを見ることができないもんね。次の世代なら、もしかしたら未来を掴むことができるようになっているのかな……。何万年後の未来の話になるのか、まるでわからないけれど。


Text:Atsushi Yoshikawa

(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。

#オンラインサロン #私物語化計画 #山川健一 #小説 #欲望は幻想領域で呼吸するものだ

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