【特別公開】物語論(ナラトロジー)で「私」という物語を探る 2 ≪本論1-2 小説・物語の冒頭には欠落がないと始まらない≫
次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編『物語論(ナラトロジー)で「私」という物語を探る』。タイトルは『本論1-2 小説・物語の冒頭には欠落がないと始まらない』だ。前回の話に続くものだが、今回は『「欲求」と「欲望」は別のものだ』という論点になっている。
Webサイト上にテキストの冒頭部分が特別公開されている。以下、主催の山川健一さんによる講義の概要動画とWebサイトのリンクを貼った。まずは、この2つをチェックした上で、わたしの感想を読んでいただければと思う。
以下、この講義を読んでの、わたし個人の感想だ。
わたしの感想
なんで、「欠落」が生じるのか? それは「欲求」があるからなんだ。お腹がすいた。食料がない。これがいちばん単純な「欠落」と「欲求」の関係である。「欲求」というのは人間が生きていく上で、ぜったいなきゃいけないもの、なんだけど、これをもっと突っ込んでいくと、「欲求」は「欲望」になる……。
『「私」物語化計画』特別公開:本論1-2 小説・物語の冒頭には欠落がないと始まらない2 山川健一 より
https://www.youtube.com/watch?v=6bwKcQI6DYc
「欲望」。
むかし、「欲望」について考えたことがある。
自分の欲望の量と質をはっきりとみきわめること。
引用:山川健一「みんな十九歳だった」
まだ、ギリギリの10代だった。いや、20歳の誕生日を迎えたばかりだったかもしれない。ある1冊の本を読んだ。自分が何者かもわからないし、何者に向かっているのかもわからなかったときだった。その本の一文に線を引っ張って、自分の「欲望」がどのようなものなのか、そんな思いをめぐらせていた。
「欲望」。
そのままずばりの「欲望」というタイトルの映画がある。
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品だ。公開されたのは1967年。いわゆる、アントニオーニ「愛の不毛」3部作のひとつだ。音楽を担当したのはハービー・ハンコック。ジェフ・ベック&ジミー・ペイジ時代のヤードバーズのライブシーンまで出てくる。前半はサスペンスのようだけど、後半は不条理で難解な展開になっていく。若かりし頃のジェーン・バーキン(当時19歳!)が拝める。
「欲望」。
「欲望」という言葉が入った映画は他にもある。
もっとも好きなのは「欲望の翼」だ。1990年制作、ウォン・カーウァイ監督にハマるきっかけになった作品だった。これまで観た映画のなかでもベスト3に入る。昨年、デジタルリマスター版が上映された。もちろん、観に行った。そういえば、これも1960年代を舞台としている。ロンドンではなく香港だけど。主人公ヨディ(レスリー・チャン)のセリフが最高にかっこいい。
脚のない鳥がいるそうだ。飛び続けて疲れたら風の中で眠り、一生に一度だけ地上に降りる。それが脚のない鳥の最期の時だ。
「欲望」。
息を吸って何かを食っていれば、生きてはいける。でも、それだけでは、生きているだけの生物だ。そうはなりたくなかった。目の前には数多くの可能性が広がっている。その可能性のどれかをうまくつかめば、自分を満たすことができるはず。つまらない大人にはなりたくない。
10代の終わり頃、そんなふうに思っていた。よくある思春期のこじらせだ。
それから数十年。自分が何者かなんてわからないし、何者かになったなんて実感はないし、何者になろうとしていたかも……。まあ、いいや。「みんな十九歳だった」の文庫本は何度となく繰り返してきた本棚の断捨離をのりこえて、今も手元にある。これだけは捨てられない。
Text:Atsushi Yoshikawa
(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。
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