【全文公開】実践コース課題1 ジェノバの夜 "「私」物語化計画"
オンラインサロン"「私」物語化計画"の「実践コース」。初回のテーマは「ジェノバの夜」だ。詳しくはWebサイトを。開校記念として、全文公開されている。
課題【ジェノバの夜】
あなたにとっての「ジェノバの夜」を400w×5枚~10枚で書いてください。
"「私」物語化計画"の「実践コース:作家へのロードマップ」では参加者に毎月課題が出される。課題を提出すると、山川健一さんとプロの編集者による赤字・添削を受けることができるコースだ。
以下、この課題に対して、わたしがどのような姿勢で取り組んだのかをメモした感想みたいなものだ。
わたしの感想
※ポール・ヴァレリーの「ジェノバの夜」については上記Webサイトで説明されている。そちらを参考にしていただければ……。
ジェノバの夜
ヴァレリーのことはその名前を知っている程度だ。「ジェノバの夜」がどのようなものだったのか、詳しくは知らない。おそらく、おそらくだけど、過去の人生で分岐点になったような体験や経験を指し示しているのだろうか。
うーん、そんな出来事、あったかな?
それが正直なところだ。これまで、他の人が味わったことがない体験や経験をした覚えはない。ごく普通の人間だ。ありきたりの日々を過ごしてきた。あんな出来事があったから、今の自分がいるのだ!なんて、まるで思いつかない。
これは困った。初回の課題にしてギブアップしそうだった。なので、3日間ほど過去の自分と向き合うことにした。あまりにも当たり前になっていて、自分では気がつかない出来事があるかもしれない。そう思ったからだ。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
で、思いついたのがこの絵画だった。ポール・ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。
幼い頃から、科学が好きだった。いつ好きになったのか、まるできっかけは覚えていないのだけど、気がつけば科学好きの子どもになっていた。ゴーギャンのタイトルには3つの問いがある。そのなかでも興味の対象になっていたのはいちばん最初のやつだ。我々はどこから来たのか?
これは大昔から問われてきた「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と同じものだ。具体的にいえば、「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」になると思う。いま存在している場所がどうしてあるのか、それが不思議でならなかった。
魔女の血か……いいね。私、そういうの好きよ。魔女の血、絵描きの血、パン職人の血……
もうひとつ思いついたことがあった。それは「血」だ。上の文章は映画「魔女の宅急便」でウルスラがホウキで空を飛べなくなったキキに向かって語るセリフ。
ここでいう「血」とはDNAだ。自分という生き物は突然、生まれたものではない。母や父、祖父や祖母、さらにはそのずっと先にいる祖先によってつくられている。自分のDNAにはそのような歴史の痕跡があるのではないかと、ずっと思っていた。
それは仏教でいうところの輪廻でもいい。ある物事に対して、さまざまな感情が出てくるのは生まれてからの教育だけでなく、そのようなDNAが少なからずの悪さをしているはずだと。つまり、自分の行動や感情は、決して自分ひとりのものではない。そういうことだ。
あなたにとっての「ジェノバの夜」を400w×5枚~10枚で書いてください。
というわけで、「どこから来たのか?」や自分の「血」について、過去の記憶を掘り起こしながら3000字ほどの文章にしてみた。うまく書けたとは決して言えない。自分の中心でぼんやりと居座っている代物を言葉にするのが一苦労だった。何よりもこの課題が難しすぎるのだ。
この課題で提示された「ジェノバの夜」の解釈としてはまちがっているのかもしれない。もっとドラマチックな人生の転換期みたいなものを記したほうがよかったような気もする。でも、それ以外、まるで思い浮かばなかった。
平凡な人生だな…。
そして、PCのキーボードを叩きながら、この課題の「ジェノバの夜」、「どこから来たのか?」や自分の「血」については、また別の機会に考えてみたい、いや、考えておくべき命題であるように感じていた。
Text:Atsushi Yoshikawa
(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。
画像:Paul Gauguin - D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ? (public domain)
Museum of Fine Arts Boston
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