【全文公開】ストレッチ2 物語は大きく、小説は小さい "「私」物語化計画"
次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"。第2回目の講義タイトルは「ストレッチ2 物語は大きく、小説は小さい」だ。ストレッチとは準備運動のこと。開講記念として、Webサイト上に講義内容が全文公開されている。以下、前書きとなる動画とWebサイトのリンクを貼った。まずは、この2つをチェックしてほしい。
以下、この講義を読んでの、わたし個人の感想だ。
わたしの感想
「ストレッチ2 物語は大きく、小説は小さい」の講義では、「小説」は「物語」のカテゴリーのひとつだと述べている。
「小説」とはなんぞや?
この疑問は常にあった。たぶん、小説という形式を意識した頃だろうから、もうずいぶん前の話になる。これといった正解を、いや、正解に近いものすらもっていない。「小説」ってなんですか?と尋ねられたら、辞書にのっているのと変わらない答えを伝えることはできる。でも、それだけでは不十分な気がするのだ。
たしか、高橋源一郎さんだったと思うけれど、電話帳も現代詩になるみたいな話をエッセイで書いていた。その理屈でいえば、あらゆるものは「物語」になりえるし、故に、あらゆるものは「小説」にもなりえる。ただ、これは現代詩というジャンルを捉えるための喩えであって、決して、電話帳=現代詩でない。
高橋源一郎さんのエッセイから多くの影響を受けた。紹介されていた海外文学などの作品をよく読んでいた。「小説」という括りでいえは、高橋源一郎さんの「一億三千万人のための小説教室」が好きだ。「小説」の書き方を記した本ではこれと、谷崎潤一郎「文章読本」、保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」がマイ・ベスト。
「小説」は小さい?
「小説」という言葉が生まれたのは明治時代の頃だと言われている。坪内逍遥がnovelに割り当てた訳語だ。今となっては絶妙な翻訳だったんだなと思う。元はラテン語のnewから来た言葉らしい。新しい話という意味だ。もしかすると、「小説」はその言葉が生まれたときから、常に新陳代謝をしていく運命を背負っていたのかもしれない。
小説の公募にはよくこのような文章が書かれている。現在の文壇にはない斬新な切り口で書かれた小説……。そんなものあるのかよ?ってツッコミたくなる表現だ。実際、そんな公募で選ばれた作品を読んでも、どこにでもあるような話では?なんて、さらにツッコミを入れてしまうことが多い。新しさなんて、その程度の代物だ。
小説を書こうと思えば、当たり前のように「小説」のことを考える。「小説」とはどういうものなのか?や、「小説」の可能性は?などなど。この「小説」を別のものに置き換えても成り立つだろう。音楽、イラスト、絵画、演劇、映画などなど。過去の作品をチェックして、それを模倣したりして、自分の「小説」をつくっている。
「小説」とはなんぞや?
この問いに対して、その場限りで他人を納得させるような説明は出てくるかもしれない。だが、自分を満足させる回答は存在していない。そんな気がする。
Text:Atsushi Yoshikawa
(注)感想はあくまでも、わたし個人の感想です。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。
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