思い出の靴。
「今までありがとな」
そう言って、私は棺に横たわる妻を見ながら、袋から一足の靴を取り出した。
真っ白だけどところどころ汚れていて、それでいて少し縫い目がチグハグな、とても売り物とは思えない。
それは、私と妻の思い出の靴だった。
妻のとの出会いは今から約年70年も前の話。
私が服飾の学校に通っていた時に遡る。
当時はまだ服や靴のデザインを勉強するなんて時代ではなく、私は友人たちに揶揄われながらも、靴職人になる夢に向けて必死に勉強をしていた。
そして、その学校の購買でアルバイトをしていたのが当時18歳の妻だった。
正直に言うと、妻はかなり美人で男子学生たちからは相当モテていた。
休み時間になると購買に列ができるほどだったよ。
そして、私も彼女を目当てに足繁く購買に通った。
貧乏学生にとっては手痛い出費だったが、まぁそこは若気の至りと言うものだなw
しかし、夏休みを目前に控えたある日、彼女は突然購買から姿を消した。
不治の病だの、教授と駆け落ちしただの、色んな噂が流れたが、実は私はその理由を知っていたのだ。
と言うのも、彼女がいなくなる前日、こっそりと手紙をもらっていたのだ。
そこには、彼女をめぐって男子生徒の喧嘩が起きてしまったので、購買を辞めなければいけなくなったことと、良かったら連絡してくださいと彼女の家の電話番号が書かれていた。
70年前だからな、携帯電話なんてない。
家に電話する時代だ。
私はもちろん手紙をもらってすぐに電話をかけたよ。
そして初めてのデートにこぎつけたんだ。
それからの展開は早かった。
私はもう彼女にゾッコンだったからね。
すぐに交際を申し込み、私の学校卒業と同時に結婚したよ。
彼女を手放したくなかった私は相当焦っていたと思うw
まぁそれも今となればいい思い出だ。
そして、私が学校の卒業と同時に彼女に贈ったのが、この白い靴だった。
当時は珍しかった白い革を使って作った、フォーマルなデザインで、当時の私は最高傑作ができたと思っていた。
しかし、今見返すと切り口はギザギザで縫い目も曲がっているし、靴底だってデザインと合っていない。
しかし、結婚式、少し遅れた新婚旅行、子供たちの入学・卒業式、結婚50周年のお祝いで行った高級レストラン。
妻は大事に大事にして、節目の行事には必ずこの靴を履いてくれたんだ。
そしてその度に、白い靴には新しい汚れや傷が増えていった。
そう、私たちの思い出が増えるようにな。
私は何度も新しい靴を買うか作るか、提案したんだ。
しかし妻は「これがいいの」そう言うばかりだった。
本当に妻はこの靴を愛していてくれたんだ。
そして今日、妻は天に旅立つ。
こんな大切な日にはやはりあの靴が欠かせないだろう。
私はそっと優しく妻に靴を履かせた。
病気になってから少し痩せた妻は、ピッタリだった靴がゆるくなってしまっていたけど、やはりこの靴は彼女によく似合う。
そう思いながら、私はもう一度妻に声をかけた。
「今まで、本当に本当にありがとう」
* 3月16日 靴の記念日 *
日本靴連盟が1932(昭和7)年に制定。
1870(明治3)年のこの日、西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。
陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作る為に開設された。
引用:今日は何の日(https://www.nnh.to/03/15.html)
[ あとがき ]
みなさんも思い出のもの、ありますか?
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