【短編小説】Re: 2046 – SUPERSONIC
Re: 2046 – SUPERSONIC
* 映画「2046」では、失ってしまった記憶を取り戻すために2046に向かう列車に乗る。
「記憶をなくすためには、どの列車に乗ればいいですか?」
女の子に声をかけられた。夜の風が当たる彼女の首元が寂しそうに見えた。
「6番トラックですけど… 本当に乗りますか?」
彼は駅員の帽子をそっと持ち上げながら、好奇心溢れる顔で彼女に聞いた。なぜなら、みんな失った記憶を探して2046に向かう列車に乗りたがるだけで、6番トラックの名前のない列車に乗りたがる人はいないからだ。彼女はただ肩をすくめた。
とにかく、駅員の彼と、少年のように髪を切って首が寂しそうな彼女は6番トラックに移動してベンチに座った。彼女は少し驚いたようだったが、彼はのんびりとベンチに腕を掛けた。待つ時間が長いと知っていたからだ。
「6番トラックの列車が来るまでには、結構時間がかかりますよ。お客さんがいる時だけ、不定期運行だから。その間、僕も少し休憩しようかな~ つい先、2046列車にお客さんをぎゅうぎゅう詰め込んで送ったところですし。何でみんなそんなに荷物が多いのか…」
「あ…!」
彼女はそれだけ言って、前を見た。夜の駅のプラットフォームには、がらんとした線路だけが果てもなく続いていた。
「どうして?」
「えっ?」
「だから、どうしてなくしたいですか、記憶。」
「ああ、それ。」
彼女はしばらく考え込んでいた。そういえば、彼女は小さいカバンすら持っていなかった。膝までくる薄いトレンチコートのポケットに手を突っ込んだまま、彼女は答えを探しているかのように空を眺めた。
「勘違いって楽しいですね。幻想は甘いし。」
「ファンタジーですから。」
彼は幸せな想像でもしているように微笑んだ。これは、恋に落ちたばかりの人の表情だ。彼女は思わず彼と同じく微笑んでしまうところだった。恋は、他人の恋だとしても、伝染性が強すぎる。
「でも、それはシンデレラの12時みたいなものです。おんぼろな自分に戻ると、数倍も惨めになってしまう… 甘い真夜中の夢、みたいな。」
「それでも… 痛い夢だとしても、甘い夢があるということは、ないよりいいじゃないですか?」
彼は軽く反論した。さすが恋に落ちた男の子のセリフらしい。彼女は彼を見た。
「それにしても、痛すぎるから。」
彼は検診する医師のように彼女を見つめた。
「ということは、今とても痛いってことですね。」
彼女の顔がきらりと輝いてから、一瞬寂しくなった。
「本当になくしたいですか?と、もう一度聞いてくれませんか?」
「いいですよ。それくらい。本当に、なくしたいですか?」
彼女がそっと笑って、首を横に振った。
「いいえ。」
「なのに、どうして記憶をなくす列車に乗ろうとしてるんですか?」
「あなたの言うとおり。とても痛いから。」
「とても… 痛いから…」
彼は彼女の言葉を繰り返した。
「私がおばあさんならいいのにと思います。その時は、すでに記憶をなくしているか、なくしたい記憶さえ、その時はそうだったね~と笑えるかも知れませんね。でも、私がそんなに早くおばあさんになれるわけでもないでしょう。だから…」
「ふぅん… だから列車に…」
彼女はしばらく彼を眺めた。
「そんな勘違いさせなかったらよかったのに。ほっといたら一人で立ち直るだろうし。そして、いつかなくす。自然に。どれくらいの時間がかかるかは分からないけど。」
「僕がそうしたわけでもないのに、そんな風に僕に言わないでください。」
彼女が気まずく視線を空に移した。
「…そうですね。」
彼も彼女が見えている空を眺めた。晴れているのに月も星もない夜だった。ただ冴えている青黒い夜だった。空の上に列車が横切る。誰かは失ってしまった記憶を取り戻すために。誰かは記憶をなくすために。
「私は2046に向かう列車は一生乗らないつもりです、たぶん。」
彼女が自分に誓うように言った。
その時、遠くから一台の列車が入ってきた。6番トラックに列車が止まった。彼女と彼はしばらく黙って列車を見ていた。ほとんど運行してない銀色の列車は新品のようで、記憶をえぐるメスのように鋭く光っていた。彼女はほんの少し迷っているように見えたが、ほこりを払うように軽く立ち上がった。
「ありがとうございました。少しの間ですけど。帰ってくる頃にはこの記憶もなくしているでしょうね。」
彼女が彼の目を見つめた。
「みんな2046から帰ってきて、僕のことを覚えているのもかなり面倒くさいことですからね。」
彼の言葉とは違って、その眼差しにはほんの少し寂しい光が漂ってから消えた。
彼女が最後に何かを思い出したかのように笑った。彼女の笑い声ががらんとした夜空にさわやかに響き渡った。彼が握手を求めて手を差し出した。彼女は彼の手を軽く握った後、心を決めて列車に乗った。列車が出発して、彼はその場に残って消えていく列車を眺めていた。彼女がこの駅に戻ってくる時、自分は彼女のことを覚えているはずなのに、彼女は自分のことを思い出せないまますれ違うだろう。その時、また「初めまして」と改めて挨拶すればいいのか、そのまま通り過ぎればいいのか、そんなことを考えながら。駅員の帽子を脱ぐと、夜の風が髪の毛を揺らして通り過ぎていった。涼しいというか、寂しいというか、とにかく冴えた風だった。彼は伸びをして駅舎に足を運んだ。遠くから、見えないまで彼女が彼を見ていることを知らないまま。
彼女は、だんだん小さくなっていく彼を見失いたくなくて、窓際に顔を当てて、駅員の後ろ姿を目で追った。
「バカ。先に記憶をなくして帰ってきたのはあなたじゃない。」
彼女は突然列車から飛び降りたい衝動をぐっと抑えた。なくしたくない。いいえ。それは、この列車に乗る前までずっと繰り返した質問だった。もう意味のない質問。みんなが知っている答え。恋は一人では続けられない。それはいつか終わる。それなら、自分の選択で消す。彼が彼女を消したように、彼女も彼を消す。彼女は、彼の可愛い恋人を思い浮かべた。私は彼と彼女の幸せを祈ることができるのか、彼女は自分に聞く。彼と彼の恋人の甘い現実を自分の甘い幻想が邪魔しないことを願うほど、いつからそんないい女になったのか、自分に聞く。いや、違う。最初から幻想は現実に勝てないと知っていた。ただ、負けただけだ。だから、どうせならきれいに負けたいだけ。
乗務員が 長い旅に備えて、青い薬の箱を持ってきた。そこに到着して、記憶をなくすための麻酔剤だろう。彼女は最後に残っている自己愛をかき集めて、青い薬を飲んだ。全部飲み込んだ。
さようなら。もう私を知らないあなた。もう私が知らないあなた。
彼女を乗せた列車は夜空に飛び上がった。月も星もない夜空に、彼女の記憶が、すでに消えた彼の記憶を追いかけて、スーパーソニックで消えていった。
- END -