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可能性という可能性
この世の中のすべての基礎だ。
そんな言葉を聞いた時、その通りだとぼくは思った。
なんか小説の始まりみたいな文章になってしまったが、なんの物語も始まらない。
始まるのはただの賢いアピールと人生への教訓だけだ。
この世の基礎になるものとは、量子力学という学問。
ぼくらのスケールに存在する物体に適応している物理法則。
物体Aの重さをmとして、傾斜を下る。この時、摩擦力は生じないものとする。
こんな文章を学生の時みたことがあると思う。
なつかし!と思う人や、そんなんあったな。うわ、聞きたくない。と思う人もいるだろう。
この物理は「古典力学」と言われるものだ。
ニュートンやアインシュタインの相対性理論なんかもこの分野だ。
すべての基礎と言った、量子力学は原子や電子、素粒子といったものすごくミクロなスケールに適応させたときの物理法則のこと。
このとき、ぼくらが肌感覚で理解できないようなことが起こりうる。
「うる」という書き方もただの確率論でしかないからだ。
詳しいことはyoutubeでも本でも調べてみて下さい。
素粒子や電子のひとつひとつは訳の分からない動きをしているが、スマホや人間など、素粒子が集まってできた塊だと適切な動きをする。
小さなことなど大した影響はないんだということ。
その小さすぎる確率は均され、1に近づく。
それと同時に、世の中起こることはすべて確率でしかない。
起こることもあるし、起こらないこともある。
その日、朝ごはんを食べなかったから。左足から歩き出したから。左奥歯でご飯を食べたから。
そんな些細な事象で事故を起こすかもしれないし、仕事でミスするかもしれない。
この世の中の物はすべてそんな素粒子でできているのだ。