オールドレンズとネオクラレンズ道
今から10数年前、2007年~2009年頃にマウントアダプターを使用したレンズ遊びにハマっていたことがありました。2007年当時、PENTAXのistDS*というAPS-Cサイズのデジタル一眼レフを使用していました。それ以前にPENTAXのMF一眼レフを使用していたため、KマウントのMFレンズを何本も持っていたからという自然な流れです。
ある日、某リサイクルショップのジャンク品コーナーを覗くと、プリセット絞りのTakumar135mmF3.5が500円で売られていました。中玉にカビがありましたが、それを購入したことがオールドレンズの入口でした。その当時、レンズを分解して清掃したりグリスアップするなど、一通りのことが出来たため、分解して中玉のカビを除去しました。このレンズは前群ユニットがねじ込み式で、工具無しで分解できました。
Takumar135mmF3.5はM42のスクリューマウントでしたので、PENTAX純正のマウントアダプターK(当時は1,000円)を購入して装着しました。試写してみたところ、コントラストの薄いフレアっぽい感じだったことは覚えています。当然といえば当然、1950年代の製造でシングルコートのレンズです。でも、そこに魅力を感じたんですね。隅々までハッキリクッキリ写るデジタル専用レンズとは対局にある写り、その先はズブズブと沼にハマり、世界各国の名品珍品を発掘する日々、数え切れないほどのレンズを使用しました。
旧東ドイツ製のレンズ、旧ソ連製のレンズ、国産メーカーOEMの謎ブランド、しまいにはL39マウントの引き伸ばしレンズにヘリコイドリングを組み合わせてM42化したりと、どんどん深みにハマっていきました。そんな中、転機が訪れたのはPENTAXからEOSに乗り換えたことですね。PENTAXマウントアダプターKの場合、一部のマウントに接する面積が小さいレンズを装着すると、ガタが出てしまうことがありました。そのことがあって、マウント口径が大きく、アダプターの種類も多いEOSに乗り換えたのです。
Kマウントの口径45mm、フランジバック45.5mmに対して、EOS(EFマウント)の口径は54mm、フランジバック44mmで、対応できるレンズが大幅に増えました。1970年~1980年代前半頃の、ネオクラとも呼べるバヨネットマウントのレンズも装着できるようになり、選択肢が一気に増えました。そこで素晴らしいレンズとの出会いがありました。ヤシカコンタックス時代のプラナー50mmF1.4、文句なしの名玉です。
このレンズは個性的かつ官能的な描写と言ったらいいでしょうか、開放ではハイライトが滲み、まるでソフトフォーカスのようです。ところが絞り込むと一変します。とにかく輪郭の線が細く、鋭い刃物のような切れ味です。これがツァイスの魔力なのかと、えらく感動したものです。現在はEマウントαのゾナー55mmF1.8を使用していますが、YCプラナーと比べるとやや魔力が弱いですね。
こちらは定番中の定番、PENTAXのSMCタクマー28mmF3.5です。比較的入手しやすいレンズで、程度のいいものが多いです。やや線が太くどっしりした写りが特徴のレンズでした。このレンズは純正で角型フードが用意されていましたが、革ケース入りのフードを購入したら、レンズの購入額を上回ってしまったという笑い話もあります。備品の方が入手困難で高額、オールドレンズあるあるですね。
こちらの写真は謎のブランドBEROFLEXの28mmF2.8です。国産レンズメーカーのOEMで、製造された時期により供給元が違うようです。私が使用していたのはシムコ製(シマ光学)で、MTシリーズがベースのようでした。とりわけ特徴のないレンズでしたが、そこそこ寄れるところと、良くも悪くも普通の写りが気に入って、割と使用頻度が高いレンズでした。
こちらは悪評の多い、メイヤーオプテックのオレストン50mmF1.8です。ドイツブランドですが、ライカ、ツァイス、シュナイダーあたりと比べると、見下されることが多いメーカーでした。ダメイヤーなんて揶揄されてましたね。上記のブランドだとクセ玉や味として語られるのに、なぜかメイヤー製はダメレンズの烙印を押されてしまうのが不思議です。オレストンはペンタコン50mmF1.8の元になったレンズです。
最後はE-Lucky75mmF3.5引き伸ばしレンズです。ボーグのヘリコイドリングにケンコーのTマウント、各種変換アダプターやスペーサーなどを使用してM42化したレンズです。無限から最短1m程度をカバーできました。レンズ自体は300円でしたが、各種パーツ代で1.5万円近く掛かってしまいました。元が引き伸ばしレンズですから、味も素っ気もありません。背景にリングボケが出ていますが、これは内面反射によるものです。
これだけハマったオールド&ネオクラレンズ道でしたが、終焉はあっけないものでした。本格的に仕事として写真と向き合うようになると、デジタルとオールドレンズの相性の悪さに気付いてしまったのです。自分の写真はレンズの味だけを求めているんじゃないか、そんな疑問が噴出してくると、オールドレンズを手にする機会も減り、デジタル専用レンズへとシフトしていきました。現在、この頃に使用していたオールド&ネオクラレンズは全て手放し、実用主義でレンズ選びをしています。
この時期にレンズ遊びを通してたくさんの写真友だちができて、今も交流が続いているのが一番の収穫でした。当時はオールドレンズの相場も安く、考えようによっては一番いい時期にレンズ遊びしていたのかなとも思います。