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サイエンスとアート

数日前にXで発信したことですが、シビアな気象現象の表現には二通りの方法があるということ。ひとつはサイエンス、論文や学術書などに使用さ所謂学術写真。もうひとつはアート、芸術の分野で自己表現のための創作写真。前者は被写体をストレートに撮影して後処理も明るさを調整する程度に収める、RAW(生データ)で提出を求められることも多いため基本は無加工。後者は特に制限が無く、あらゆる加工をすることが可能(筆者はRAW現像で明るさや色味を調整する程度)。どちらが作品として優れているかは用途が違うため比べること自体がナンセンス、例えるならデジタルとフィルムの違いのようなもので、全くの別物なので単純比較は出来ない。

RAWで提出するということは、レリーズボタンを押した時点で写真として完成していなければならないということ。被写体の全体像を決められた枠の中心に納めること自体、静物であれば容易に出来る。ところが気象現象、特に雷は落ちてみないとどこに落ちるかわからないので、あらかじめこの位置に落ちるだろうと想定して待ち構えるのである。枠の中心に納める以外にも、ピントや露出が適正であることは勿論のこと、稲妻が雲や建物で隠れていないという条件も付いている。実際気が遠くなるような撮影で、一度の撮影で条件に当てはまる写真が数枚撮れていれば大成功だ。

アートの分野は自由なものなのでこの場では割愛するが、サイエンスとアートの中間に位置するものが民俗学だと考えている。民間の習俗や伝承がベースになっている地域に伝わる文化のことだ。筆者の住む地域は暖候期の雷や突風が多く、雷や風に関する伝承や諺が多く伝わっている。伝承に関しては物語の延長であることが多いが、諺には科学的な裏付けがあるものも多く、サイエンスとアートを結びつける重要な役割を果たすのではないかと考えている。

雷をはじめとするシビアな気象現象にアプローチするためには気象学的な情報収集が必要不可欠であるが、そこに民俗学を加えるとより強いものになる。例えばこの時期にこの方角から風が吹くと荒れ模様になるとか、〇〇山に雲がかかると天気が崩れるなど、地域に伝わる文化をベースに撮影に挑むことでアート寄りのサイエンスを表現出来るのではないだろうか。つまりサイエンスとアートの間にカルチャーを挟むわけだ。

たつのばんば

「たつのばんば」筑波山に伝わる伝承で、筑波山の二つの頂、男体山と女体山の中間に位置する御幸ヶ原が雷雲に覆われると、竜が暴れまわるように稲妻が走り雷鳴が轟く様を例えた伝承。筆者の地元は筑波山のビューポイントが多く、筑波山がランドマークになっている地域。それを雷と絡めて撮影しようと思い立ったが、実際撮影してみると思った位置に稲妻が入らない、雷雲で筑波山が隠れてしまうなど、満足のいく写真を撮るために三年を要した。時間はかかったものの、これが筆者の理想とするアート寄りのサイエンス的表現だ。

風と坊主は十時から

「風と坊主は十時から」福島県から茨城県にかけて伝わる諺、朝のうち穏やかでも十時頃から急に風が強まる様を、お坊さんが十時から檀家回りすることに例えたもの。風は無色透明で写真に表現するためには可視化するものが必要、真っ先に考え付くのが早春の関東で度々発生する風塵(強風で舞う砂埃)。撮影自体は容易なものの、砂埃の真っただ中へ入るので機材や体調に影響が出ること必至で、積極的に撮影したくない被写体。

数年前から伝承や諺をテーマに撮影しているが、正直完成まで何年掛かるかわからない。未完のまま終わる可能性もあるし、なにを区切りに完成とするかもわからない。これらの写真は商売抜きのライフワークとして、楽しみながら気長に撮影していこうと思う。

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青木豊|写真家・ストームチェイサー
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