憑羽に寄す:二十 狩場の準備
一夜が明けて、ほとりの町にも日が昇る。
刷毛で引いたような雲を抜け、白金の光が差すにつれ、街にもたらされた被害のほどが次第にあらわになっていく。
北門と南門、街の中央を結ぶ通りを、巨人がその手に見合った鉈でもって一直線に叩き割ったような、一本の痕が結んでいる。通りに面した建物は、ことごとく正面部をえぐり取られている。見えるのはふぞろいな断面と部屋の中身、割れ砕けた瓦礫を撒いた地面ばかりだ。人の姿こそまばらだが、焦燥にも目に見えない何かが、埃の匂いの風に混じって街のいたるところに満ちている。
不幸のうちにも幸いだったことは、たまたま最寄りの関所に、視察途中だった辺境伯アンゼルムが滞在していたことだろう。そのため夜間のできごとにも関わらず、速やかに正規兵が遣わされたことで、建物の壊れように対して、死者を出す事態は免れていた。
アンゼルムは南門の外、森の傍にあった。周囲の外壁ごと半円にくりぬかれ、残骸となった場所を見上げる真っ青な礼装には、いささかの綻びも見られない。
彼の傍らで、草の中に座り込む若者がいた。南門の倒潰の折、物見に当たっていたという彼の、脛と頭とには包帯が施されている。包帯で固定された頭を抱えて顔を膝に押しつけ、気ぜわしく唇を動かしている。
「あれは、何なのですか」
アンゼルムは若者を見下ろした。若者は自分の膝を見つめたままだ。
「銃が、通らな、通りませんでした。我々ごと、門を、踏みつぶしました。
ご領主、あれは、何だったのですか」
アンゼルムは若者の肩に触れた。
「あれのことは必ず解決します。身を労りなさい」
若者は歯の根を鳴らしながら、わずかだけ首を縦に振った。
アンゼルムは身を返して、森へと続く道を踏む。もしも若者が顔を上げて、アンゼルムの正面から見ていたなら、ねぎらう声根とは程遠い、何の表情もない顔と対面したに違いなかった。
アンゼルムの向かう先には、正規兵が列をつくっている。柱のように直立して、微動だにしない彼らの足元に、濃茶に白まだらの毛皮をまとった犬が座っている。
総数二十二名。ほとりの救援に人員を割いた結果、白い怪物の回収へ向けることができたのは、一小隊に満たない程度の人員だった。充分だ。真実戦が始まるならばともかく、獲物を狩場の内に囲う、勢子の役割にあたっては。
既に本邸には電信を入れている。日が昇りきるころには兵と武装が到着する。
アンゼルムが足を止める。正規兵の列が一様に礼をとった。
「目的は、対象の確保あるいは排除です」
アンゼルムは声を張った。端的な言葉が草の上をわたる。
「鴉が先行して逃げ道を塞いでいます。あなたがたは崖よりケレスト側の領内で、潜伏している対象を駆り出してください。相手は銃への対処法を持っています、使うのは威嚇に留めること。どうしても使うならば至近で、対象の体に直接銃口を当てるか、気づかれていない位置からの狙撃を徹底なさい」
アンゼルムが腕を伸べる。前列の兵が、これも揃いの動作でかがみこみ、犬の首輪から鎖を外す。
「はじめ」
兵の手が離れる。
人の腿に届くほどの体高を持つ猟犬の群れは、驚くほど静かに駆け出した。
訓練に裏打ちされた、同じ静けさをまとって、兵の列が動く。
やがて彼らの姿が完全に消えて、ネストレは空を仰いだ。
幾色もの緑に飾られた森の上、空色のさなかを、黒い布の切れ端のような影がゆったりと旋回している。
「……怪物が出たら、なんとなさいますか」
「出てはこないよ」
ふいに背後からかかった声に、アンゼルムは動じず応える。
「あの姿では長いことはいられない。子どもの癇癪みたいなものだ。君だって知っているのではないかい」
いつ現れたのか。アンゼルムの背中には、暗青の外套の男が立っていた。
「それより手間がかかるのは、暴れた後の片付けのことだよ。
いろいろ考えたのだけれど、やはり君にも、念のため就いてもらいたい役目があってね」
アンゼルムが振り返る。下げていた袋を両手で支えて、口を手繰り下ろした。
鉄と油の匂いがかすかに漂う。
黒々として輝く、真新しい長銃を引き出して、体の前で水平に持ち替える。立ち尽くす男に銃を差し出しながら、アンゼルムは終始笑顔だった。
「仕上げを頼めるかい」
外套の男は、腕を伸ばして、銃を取った。