短編小説 「生物オタクの恋」
「ニモだ〜!ニモがいっぱい〜!」
「ニモのほかにドリーもいるよ」
「本当だ!ニモやドリーのほかにもいるね。ギルもいるね」
「せっかくだから他の魚たちもいたら喜ぶかなって思って」
「すごい!ニモの世界だよ!」
「喜んでくれて嬉しいよ」
「見せてくれて、ありがとね宇田川君!水族館行かなくても、水族館デートできるね!」
「うん」
「そういえば、鯖たちは?」
「向こうの部屋にいるよ」
数日前
「宇田川君この後、仕事終わりにみんなで飲みに行くんだけど……行く?」宇田川の同僚のユズが話しかけた。
「すみません、用事があるから行けません」女性からの誘いを断ってしまう宇田川。
「ユズ、誘っても来ないの分かってるのになんで誘ったの?」
「一応、声を掛けたいと方がいいかなって」
女性との会話も慣れていない宇田川は、せっかく飲み会に誘われた断ってしまう。
「先に帰ります。お疲れ様です」
宇田川の仕事は、香水メーカーでの商品企画。宇田川にとって、香水を企画する仕事は畑違い。それなのに、香水メーカーに入社したのは、女性からモテたいからだ。大学で四年間、とある生物な研究に没頭してきた宇田川は、女性との関わりがなく、それが大学四年間での唯一の心残りだった。
そこで、宇田川は就職先を、職場に女性が多い理由で香水メーカーの商品企画に就職する事を決めた。しかし、宇田川は、女性との関わりに慣れていない為、職場の飲み会があっても断ってしまう。ただ、女性からモテたい。女性と会話をしたい。女性とデートをしたい。たったそれだけの事なのに、宇田川にとっては、とても難しい事であった。
ガチャ
「ただいま」
ブゥゥー
部屋に小さく鳴り響く低音。
「ただいま〜今帰ってきたよ〜ご飯あげるから待ってて」
パコッ
「もうない……」
一方その頃、宇田川が断った飲み会では、宇田川の話で盛り上がっていた。
「あの人、理系のネクラなのによくうちに入ってきたよね〜喋りかけてもハイとかしか言わないし、それ以外の言葉あんまり聞いた事ない。ユズはネクラと席隣だけど、喋ったりするの?」宇田川の先輩のサクラが言う。
「仕事での最低限の事しか喋った事ない。それ以外で声は、聞いた事ないか。あとは、出勤と退勤の時の挨拶くらいかな」宇田川と同期のユズが言う。
「宇田川君って、もともと生物の研究してたんでしょ?なんで香水の会社に入ったの?」同期のツバキが言う。
「知らない」
「全然知らない」
「入った理由は知らないけど、サバの研究してたらしいよ」サクラが言う。
「サバって魚のサバ?」ツバキが言う。
「そう、そのサバ。結構、すごい研究だったって、人事の人が言ってたよ」サクラが言う。
「サバを研究してたのに香水?サバの香りの香水でも作るつもりなの?」ツバキが言う。
「ねぇ、そろそろ次の店行こうよ」カエデが言う。
「すみません、私は今日はもう帰ります」ユズが言う。
「えーそうなの」サクラが言う。
一方その頃、宇田川は街で買い出しをしていた。
ありがとうございやした〜
「さぁ、エサは買ったし、さっさと帰ろう」
「宇田川君?」
店を出た宇田川の背後から女性が声をかけてきた。
「あっ、こんばんは」
振り返った先には、席が隣の同期のユズが立っていた。
「なにしてるの?」
「えっあっ、買い物です。冷凍のアカムシを買ってたんです」
「アカムシ?」
ユズは、宇田川が出てきた店の入り口を見上げた。
「釣り具店?釣りするの?」
「違います。釣りはした事ないです。あの〜ペットのエサを買ってたんです」
「ペット、何飼ってるの?」
「えっと〜ニモ」
「ニモ?ニモ飼ってるの?!ニモってカクレクマノミでしょ!いいな、見せてよ!私、カクレクマノミすごく好きなの!」
「これからですか?」
「うん!」
「いいですよ」
宇田川は、カクレクマノミを飼っていない。飼ってるのは鯖なのに、鯖を飼っている事が恥ずかしくて嘘を言ってしまった。おまけに、飼ってもいないカクレクマノミをこれから見せると言ってしまった。
宇田川とユズは終始無言で宇田川が住むアパートまで歩いた。宇田川は、アパートに着く間に自分がついた嘘をどうするか必死に考えた。正直に言って謝るか、鯖をカクレクマノミって言って誤魔化すか必死に考えた。
一方その頃、鯖たちは腹を空かせながら水槽の中を泳いでいる。
「あいつ、全然帰ってこね〜」鯖のエノキダが言う。
「すんげえ〜腹減った〜水槽の糞も溜まってんのにな〜」鯖のタナカが言う。
「エノキダ〜水槽に糞が溜まってきてるよ。このままじゃ死んじまうよ〜」鯖のヤマダが言う。
「なにやってんだあいつは」鯖のエノキダが言う。
ガチャ!
「たく〜ようやく帰ってきたか」鯖のエノキダが言う。
「え!」鯖たちが動きを止めた。
「エノキダ〜!あれって、人間の女だよな」鯖のヤマダが言う。
「女だ。それもかなりのベッピンだ」鯖のエノキダが言う。
数分前
「あっあの〜ユズさん」
「なに?」
「その〜実はカクレクマノミ飼ってないんです」
「えっ?」
「本当の事を言ったら引かれると思って嘘つきました。すみません」
「じゃあ、アカムシは?」
「鯖のエサです。鯖を飼ってるんです」
「へえ〜鯖って飼えるの!見せて!」
「鯖ですよ」
「うん見たいです!だって、鯖って料理された鯖しか見た事ないから、生きてるの見たいです!」
「じゃあ、どうぞ」
ガチャ
宇田川は、正直に言って謝って許してもらおうとした。だけど、ユズの反応は以外で飼っている鯖を見たいと言った。これは、宇田川にとってものすごく以外だった。今まで鯖を飼っていると言うと、人から引かれていたからそれを受け入れたユズを不思議に思った。
「すごい!これが鯖?!鯖って以外と小さいんだね」
「まだ、子供の鯖だからです。まあ、水槽が小さいから大人になってもそんなに大きくならないですけど」
「思ったより、鯖って可愛いですね!なんか、ずっと見てられます」
「そう。ずっと見てられるから鯖好きなんです」
「もしかして、鯖を飼ってるから、いつも飲み会に参加しなかったんですか?」
「あーそうです。糞が溜まると鯖が死んじゃうから、定期的に取り除かないいけないんです」
宇田川は、心の中で何度もガッツポーズをしていた。初めて、女性を部屋に入れた事や女性が鯖に興味を持っている事や女性と会話できている事に何度も何度も心の中でガッツポーズをした。
しばらく、宇田川とユズは鯖の話で盛り上がった。
「宇田川君、私そろそろ帰るね」
「はい。あの、もしよかったら、また見にきてくれませんか?実はカクレクマノミも飼う予定なんです。だから、今度はカクレクマノミを見にきてくれませんか?」
「はい、また見にきます!カクレクマノミ楽しみにしてます!」
宇田川は、顔を赤めながら次に会う約束をした。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ガチャ
ドアが閉まると宇田川は、腕を大きく振り下げながらガッツポーズをした。
終わり。