アベよさらば(アベ追悼特別編)
こんにちは、全部ふみきゅんのせいだbotです。
パヨ先達が国葬の欠席を招待状の写真をアップして叫んでいるのに習い、私も明日は会社を欠席します。
しょっちゅうやっている気はするのですが、今日だけは着ぐるみを脱ぎます。
いよいよアベの国葬儀が本日営まれます。私も献花と記帳が出来るところを見つけましたが、天パヨのパヨ先達が、イキり勃つ立つ中、来る者は拒まないが大っぴらに受け付けいることは言いたくないということでしたので、私も情報は隠蔽して、ひっそりとアベのご冥福をお祈りしに行こうと思います。
私とアベの出会い
アベが世に出て注目を集めていた時、私は丁度大学生でした。国語も算数も出来ないという設定なのですが、しっかりと大学を出ていてすみません。
当時ジュンイチロウが自民党をぶっ壊すというキャッチフレーズで首相になり、郵政民営化を旗印に構造改革を訴え、国民の人気を集めていました。
そんな中、若手の登竜門官房副長官に抜擢されたのは若き日のアベでした。アベはおじさんだらけの当時の政治家としては地味ではありましたが、誠実そうな印象と、おじさん政治家に比べルックスも良かったため人気を集めました。
アベがジュンイチロウの政権下で強く注目されたのは、やはりアベのライフワークだった拉致問題で初めて北朝鮮とジュンイチロウが対峙した交渉に同行した時でしょうか?北朝鮮の盗聴を意識しながらわざと帰ろうとジュンイチロウに主張したり、被害者の一時帰国が実現した際に外務省の田中均に強硬に北朝鮮に戻すべきではないと主張したというエピソードは有名ですね。
その後アベは父シンタロウと同じ、官房長官のポストに就き、ジュンイチロウ退陣後は、当選5回目、そして52歳の若さで総理に就任しました。
私も若き日のアベというリーダーに期待していた一人でした。
第一次政権の失敗
美しい国づくり
戦後レジームからの脱却
などをスローガンに防衛庁の省への昇格などを行いました。
しかし、アベ政権発足後、閣僚への様々な疑惑が巻き起こり、自殺者を出し、参院選で大敗し、更にはアベ自身が抱える難病の問題もあり約11ヶ月で不本意な退陣をせざるを得ませんでした。
退任後再復活まで
アベは退任後、不本意な形で政権を投げ出したと受け取られるような辞め方をしたことをきっと悔やんだのでしょう。周りから再起を促されても中々決断しなかったようです。
しかし、アベは第一次の反省を活かし、経済という新たな武器を身につけようとして、必死で勉強したようです。それまでは非主流派だったリフレ政策に活路を見出し、日本経済の停滞の原因であるデフレ脱却を目標に再起を目指して、野党時代の自民党総裁選でイシバを下し復活の狼煙を上げました。
第二次政権 アベノミクスと安全保障、そしてモリカケ桜ループへと
その後、アベは消費増税を選挙も経ずに国際公約して自爆解散をした野田民主党に大勝し、見事返り咲き、悪夢のような民主党政権で放置され続けたデフレの問題にアベノミクスという政策で挑みました。
アベノミクスは三本の矢と言われる三つの政策からなり、
第一弾は大胆な金融政策(金融緩和)
第二弾は機動的な財政出動(積極財政)
第三弾は成長戦略
になります。
異次元の金融緩和に代表されるこの第一弾の金融政策は、功を奏し、株価や雇用の改善などが図られました。詳しくは後日パヨでも分かるやさしい経済でも中の人が取り上げる予定です。
しかし、消費増税の影響と機動的な財政出動の規模が不足し、成長戦略も加計学園の問題で目玉だった国家戦略特区が開店休業状態となり、アベノミクスが本来目指していたものには及ばない結果となってしまいました。
また、安保法制や共謀罪と我々が意図的に印象操作を行なったテロ等準備罪など後ろめたいことしかない光のパヨ戦士には不都合極まりない法案を成立させてしまったがゆえに多くのパヨがアベを親の仇以上の感覚で憎むことになりました。
また民主党政権で鳩山パヨ先が活躍しすぎた影響で完全に冷え切っていた日米関係を復活させ、民主党から政権を奪還した共和党のトランプ大統領を世界で唯一手懐けられる猛獣使いの異名を取り、様々な国との関係を構築し、我々パヨからしたら素晴らしい国という設定の中国の危険性を認識し、対中包囲網の構築に尽力しました。
また中韓に対する対応が厳しいことも我々パヨから反感を買うに相応しい要素でした。
そんな中、自衛隊の日報破棄問題やモリカケ桜問題など様々な問題が起き、我々は新しい捏造、印象操作感満載のこの疑惑に、水を得た魚のように食いつきアベを攻撃し続けましたが、それでも残念ながら国政選挙はアベに連敗し続けました。
どれだけアベに問題がないと分かっていても光のパヨ戦士達は人格攻撃も辞さず、アベは人の心がない魔王という設定を作り上げて必死で攻撃しました。
そんな強いアベも病には勝てず、第一次政権を手放すきっかけとなった病気の悪化で再び退陣し、今年になってアベ派のトップとして派閥復帰した矢先凶弾に倒れました。
アベの悲劇
アベは一人のテロリストにより、参院選の応援演説中に、我々と同じ平等であるべき命を理不尽にも奪われましたが、その死に多くの声を発さない良識ある日本人が悲しみ、献花や記帳に訪れました。
新聞各紙ではアベの国葬儀に反対という世論調査が多いのですが、実際にこの結果事態は全国民に実施したものではなく電話調査が中心のため、結果には偏りが出ると私は考えています。この偏ったアンケートを用いて、光のパヨ戦士達は死者を静かに弔おうという人間としての心を捨て去り、黙祷すら邪魔しようという人でなしの極みの所業を行おうとしています。たくさんの人達がわざわざ休みをとってアベの献花に県外からも訪れることに、敵ながら天晴れと言わざるを得ません。
ここまで人は対象的になれるのだと私は感じました。
今でもアベはあんな街、そんな街、こんな街で、あんな人、そんな人、こんな人達にまで、優しく政策を語りかけて、子供にもお年寄りにも優しく接しているような気がしてなりませんが、アベがもう現実には存在しないことが敵でありながら、無性に寂しくてたまりません。
先日の誕生日にも、私は言いましたが、アベ政権と対峙してきた一般市民の私は、アベにこの言葉を送ろうと思います。
安倍さんさらば、そして、安倍さんありがとう。
安倍さん安らかに...
改めて安倍さんの御冥福を心よりお祈りします。