三顧の礼は史実か3
④三顧の礼に見える孔明らしさ
劉備のような著名な年配の将軍をして、孔明のような年少の書生に三顧の礼をとらせるというのは決して当たり前の結果ではない。しかしこれを孔明は実に自然な方法、当たり前の方法で実現している。
①自分をよく理解する有能な人物である徐庶を推薦役に選ぶ
②徐庶が劉備に信頼されるのをまつ
③徐庶に推薦させる
以上のように特別な手段は何も取っていない。当たり前を積み重ねているだけである。「当たり前を積み重ねて当たり前ではない仕事を自然に確実に成し遂げる」というのは孔明に一貫する思想である。例えば天下三分の計も一見当たり前の政策の積み重ねである。
しかし結果は、無一文に近い劉備を三国の一角に押し上げる、という当たり前ではない結果を成し遂げている。歴史の結果を知っている我々は、ともすると天下が三分されたのは当たり前と考えてしまいがちかも知れないが、当時の人々からすれば決して当たり前の結果ではなかったはずである。
良く引用される説話であり孫引きになるが、さらに植村清二氏の『諸葛孔明』から引用する。
梁の殷芸の「小説」によると、桓温が蜀を征した時、もと孔明の時の小史(書記)であったという百余歳の老人がなお生存していたという。そこで桓温は老人に問うていった。「諸葛丞相は、今の誰に比すべきであろうか」思うに桓温は、ひそかに自分自身をもって擬したのであろう。しかし老翁は答えて言った。「諸葛公の在世中は、少しも他人と異なったところに気づきませんでした。しかし公が歿せられてからは、これに比すべき人を見たことがありません。」この逸話が真実であるかどうかは、ここでは問題ではない。孔明の人物はこの老人の言葉の中に、もっともよく現れている。
植村清二『諸葛孔明』280ページ
当時の蜀の人々は孔明の政策が常識的過ぎて、特別な政治だと思わなかったのである。しかし当たり前の施策を通じて、決して当たり前ではない堯舜の治を思わせるような善政を行った。「孔明の人物はこの老人の言葉の中に、もっともよく現れている。」という植村氏の指摘は非常に的を射ている。
当時の蜀の人々は孔明の偉大さに気づかなかったというが、それは当時の人々だけではなく、現代の我々も十分に注意すべき点である。史実における孔明の偉大さは、ともすれば見逃されてしまいがちなのである。
上述の老人のように「当たり前を当たり前に行っているだけではないか」と考えてしまいがちだからである。「当たり前を積み重ねて、当たり前でない結果を実現する」孔明は、「当たり前を行い、当たり前を成し遂げる」平凡人との違いが、実は見落とされる傾向にあるのである。
三顧の礼でも当たり前の方法の積み重ねで、当たり前ではない結果を成し遂げている。奇策であれば、ギャンブル的な要素があり、行ってみないとうまくいくかわからないかもしれない。また場合によっては道徳的に問題が生じるなど何らかの副作用も生じる可能性がある。高遠な思想であれば、高遠すぎて現実には実行しえないかもしれない。多くの偉大な思想家たちが現実では失敗者だったように。
しかし当たり前を積み重ねる方法であれば、当たり前ではない結果を、実に「当たり前に」実現できるのである。自分の思想を確実に自然に実行できるのである。高遠な思想も当たり前のステップに還元されて初めて、現実に実行できる地に足のついた思想として完成するのかもしれない。
孔明に一貫するこの思想は、正統派でギャンブルを行わない、熱い理想家であり冷静な現実家でもある、いかにも孔明らしい思想であるといえよう。孔明は平凡にして偉大だと、よく指摘されるが、平凡「にもかかわらず」偉大なのではなく、実は平凡「だからこそ」偉大なのである。
さらに孔明の孫権との外交との共通点も指摘したい。赤壁の戦いの前に孔明が使者として孫権を訪れる場面である。
植村清二氏『諸葛孔明』から引用する。
当時孫権と劉備の勢力には、大きい隔たりがあった。孫権は父兄以来江東に活動して、その地盤は鞏固であった。その軍隊もまたすこぶる精鋭であった。これに反して、劉備はいまや寸尺の土地も持たない客将で、その軍隊は大敗の打撃を受けて容易に立ち直ることのできないみじめな状態にあった。<中略>しかるに孔明はこの困難な状況にあって、なお孫権に対して堂々と対等の地歩を占め、孫権から進んで協同の申し出をさせた。
植村清二『諸葛孔明』99ページ
孔明は絶対的に劣勢にもかかわらず、孫権と対等の外交を行った。そして植村氏の指摘通り同盟の申し出は孔明側からではなく孫権から提案されているのだ。三顧の礼においても、著名な年配の将軍劉備に対して、年少の書生という圧倒的に劣勢の状態を覆し、対等以上の状況を作り出している。
二つの場面において、孔明は自分に絶対的に不利な状況であっても、強大な相手に対して怖じ気づかず気合負けしない強靭な精神力を見せている。孫権に対する外交との共通点から見ても、やはり三顧の礼は、実に孔明らしい戦略と考えられよう。
三顧の礼の結論を述べる。
劉備の動機、孔明の動機、徐庶の存在、三顧の礼の戦略の孔明らしさ、などを考察すると、三顧の礼は疑うべきどころか、史実であったと考えたほうが、自然であると結論できる。本論の結論としては三顧の礼は史実であったと考える。
序において三顧の礼は「④話がうまく出来すぎていて虚構の匂いがする。」と述べた。しかし一見虚構の匂いさえするほど、ある意味出来すぎた結果を、当たり前に確実に実現してみせたのは、三顧の礼を疑うべき根拠ではなく、逆に孔明の偉大さを証明する事実であると言える。
孔明が初めて見せた戦略は天下三分の計であるとよくいわれるが、実は三顧の礼という就職戦術こそが孔明が最初に見せた戦術であったといえよう。