【英訳】侏儒の言葉15:告白
本稿は芥川龍之介『侏儒の言葉』を英訳してみようという、連続企画です。もともと日本文学の作品を英語やドイツ語などの外国語で読みなおすのが好きだったのですが、芥川龍之介でいちばんお気に入りのこの作品には翻訳が見当たらなかったのがこの企画を思い立ったきっかけです。
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Confession
Candid confession is nothing that anyone can make. Simultaneously, no-one can express anything without confessing his secret.
Rousseau loved to confess. However, we cannot see any outspoken depiction of himself even in his “Confessions”. Mérimée would not like to confess, but does his “Colomba” not tell us of himself implicitly? After all, the borderline between confessional literature and other forms of literature is less distinct than it first seems to be.
告白
完全に自己を告白することはなんびとにもできることではない。同時にまた自己を告白せずにはいかなる表現もできるものではない。
ルッソオは告白を好んだ人である。しかし赤裸々の彼自身は懺悔録の中にも発見できない。メリメは告白をきらった人である。しかし「コロンバ」は隠約の間に彼自身を語ってはいないであろうか?所詮告白文学とその他の文学との境界線は見かけほどはっきりしていないのである。
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夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。