京都の蕎麦 子 恋愛
最近は妻が蕎麦にはまっていて、いろいろ店を調べては休みの日に二人で食べに行く、ということをここ数ヶ月続けている。
僕は西の人間なので、どちらかというとうどんのほうに親しみがあり、故郷にも有名な鍋焼きうどんの店があって父親とよく食べに行った。麺といえばうどんだった。
ただ、村上春樹のエッセイを読んでいると、昼間に蕎麦屋に行ってビールを飲んで、という場面が出てきたりするので、あー蕎麦も良さそうだな、と実は時々思ったりもしていた。
ところで京都はどっちだろう?今は蕎麦屋ばかり行っているから蕎麦のほうが目につくけど、うどんの有名店も多い。西日本だしやはりうどんかな。うどんのチェーン店もよく見るし。
今のところ僕たちの中で最も高評価を得ている蕎麦屋は、北白川にあるみな川というところ。ここは出汁がほんとうに美味しくて、僕はいつも飲み干してしまいそうになる。冷かけ梅おろし蕎麦ばかり食べているのは、梅の酸味が出汁とほんとうによく合うから。妻は妻でシンプルなせいろばかり食べている。
あと、一品もので鴨塩焼とだし巻きもいつも注文する。これらもとても美味しい。鴨塩焼は塩加減が抜群だし、だし巻きはふっくらあつあつ。
これらも合わせると値段は少々張るものの、そんなの気にならなくなるくらい全部美味しい。
そしてみな川に負けず劣らずなのが、陸兵そばという店。ここの出汁も美味しくて、もう何度か通っている。僕の好きな梅系の蕎麦はないかわりにすだち蕎麦がある。これもすだちの酸味が出汁とよく合っていて気に入っている。妻はもり蕎麦。僕たち夫婦はどこへ行ってもだいたい同じようなものばかり注文している。
京都にどれくらいの蕎麦屋があるのか知らないけど、妻が飽きるまではこの蕎麦屋巡りを続けることになると思う。ブログ的なものにでも残せばいいのかもしれないなあと思いつつ、妻はそういうのにはものすごく疎い。そもそもSNSというものをやっていない。現実世界に生きる人なのだ。僕もそこまで蕎麦に執着もないので、そんなのやる気はない。たぶん僕たち二人の間だけに残っていくものになりそう。
まだ聴いてる。かなり気に入っている。聴いていると風が流れているように感じられる。ずっと前に jim o'rourke のギターを聴いた時にもそんな感覚があったけど、たぶんその時以来。
これは1曲目がとても気に入っている。曲名の通り空や雲のイメージ。そのまんま。
最近新しいアルバムを出した sheryl crow。これは最初のアルバムだけど1993年なのか… 「strong enough」という曲が当時から大好きで、車の免許を取ったらこの曲を聴きながら海沿いの道を走りたい、というわりとはっきりしたイメージがなぜかあった。
あわのかやさんが紹介されてたやつ。ひさしぶりに憑依されてしまい、1日に何度も聴いていた。やっぱりこういう曲っていつになってもあるんだな。
stina nordenstamは学生のころにどこかの試聴機で聴いてかなり心惹かれてしまい、それ以来ずっと聴いている。
先週、学生時代から唯一今でも定期的に会っている友人と飲みに行った。
彼の娘さんも今年から大学生になり、先日彼氏とのことで一悶着あったそう。娘さんが彼氏の実家に泊まりにいくとかで、いやそれは向こうの親にきちんとこちらからも挨拶しとかなきゃ、と思った友人が思案し立ち回った挙句、なんだかいろいろややこしくなったみたい。娘さんからは「なんで好きな者同士が会っちゃいけないの!」と言われる始末で、彼も辟易していた。
まあ僕からすれば、自分の過去を棚に上げてどの口がそんな親みたいな(親だけど)もっともらしいこと言ってるんだよ、と言いたくなる(言ったけど)。でもちゃんと親してるよなあ、と若干羨ましくもあった。
うちの子たちはそんな浮いた話もほとんどなく、逆に心配になるくらい何にもない。僕は僕でステレオタイプな親役割をこなしたいという願望も少しはある。でも、いくら子とはいえども人それぞれだし、平和といえば平和だしまあいいか、という結論に至った。彼女や彼らにとっては、恋愛以上にもっと大切なものがあるのかもしれない。ないのかもしれない。よくわからない。
ただ、恋愛は感受性が高く多感なうちに一度はしておくべきだという考えを僕は捨て切ることができない。高校生のころに経験した恋愛を振り返ると、あれほど真剣に自分自身の心を見つめ、また他者の心を理解したいと望んだことはなかったと思う。あのころの記憶は今でも強烈に僕自身の中に残り続けているし、なんなら今まで生きてきた中で最も真摯に生きていた時期だと言える気すらする。
そんな経験をやっぱりしてほしいなあと思うんだけど、こればかりは親とはいえどうしようもない。もったいないね、ほんと。