ノートPCにステッカーを貼りまくるのは、きっと“カッコ悪い”のだろう
シールとかステッカーをベタベタと。
あなたは、食器棚や冷蔵庫に貼り付けて怒られた子供時代を経てきたような方ではありませんか?
誰かこの中にお医者様はいらっしゃいませんか?
給食費を盗んだ犯人がこの中にいます。さぁ、みんな目を閉じて!先生、誰にも言わないから、そっと手を挙げて!
「やっぱ、お前か!コッチ来い!!」
という感じの方ではありませんか? 違いますか、ごめんなさい。
僕は今、WEB制作とかしている会社の末席で息を潜めて毎日生活しているのですが、意外とノートパソコンの顔をステッカーチューンしている人は少ない印象です。
かじられたリンゴがポワッとほの光るあの顔が、至高のデザインだという感じでしょうか? 何よりただただ、ステッカーチューンはガキっぽくてカッコ悪いから?
あんなにガキの頃は、ベタベタやってたのに?
毎日、触るノーパソなんだから、ステッカーとか貼ればいいと思います。
『なぜ出来る人はノートパソコンにステッカーを貼らないのか?』
とかいう新書でも読んでいるんでしょうか?
僕はその新書まだ未読なので、貼りますね。貼っていきますね。
最初は、「背景」を生かしながらステッカーを配置していく具合ですけれど、一線を越えだすと、どんどん重ね貼り上等!になっていきます。
そうやって、ステッカーの層を作っていく事で、このノーパソと自分との歴史を紡いでいく。ステッカーのレイヤーが僕そのもの。
そう、私はもう、レイア姫。
僕の、主なステッカーフィールドは、ノーパソとナルゲンボトルですかね。
ほとんどステッカーを貼るために、ナルゲンの水筒を買っている気すらします。
どこかに行けば、ステッカーを探す。
貼るために買うのか、買うために貼るのか、それが問題だ。
うそ、問題とかじゃないです。買って貼って買って貼って、果てるまで。
ただ、本当は自分のノーパソの顔は、例えば自分が作った商品とか、自分が関わったプロジェクトとか、それこそ、テメエの生きてきた道程。テメエの仕事の歴史の記録の証、になるようなモノだけ貼って、そんなレイヤーを積んでいきたい。生きたい。ホントはですね。
海外旅行用のトランクに貼られていく旅の記憶。
みたいなのが理想なんですけどね。
次買うマシンはその方針で行きたいと思います。
ズーーーッと、無垢なままのノーパソだとしたら、出来の悪い自分を恨むしかありません。
一応、今の所、僕が一番気に入っているステッカーチューンは自宅の洗濯機に施した
ヤツです。