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緩やかな関心と他者への期待

他者に期待することについて、皆さんはどう感じますか?
「期待しすぎると裏切られたとき辛いよね」とか、「期待するのは信頼している証拠だ」といったさまざまな意見があると思います。僕自身はというと、他者に期待することがほとんどありません。どちらかというと、「期待しない」というスタンスでここまで生きてきました。

でも最近、この「期待しない」という生き方が、自分を守るための言い訳になっているのではないか?と感じることがあります。また、他者への期待がない分、無関心に近い態度を取ってしまっているのではないか――そんな疑問も浮かんできました。

この記事では、僕が感じてきた「他者への期待」、それが生むさまざまな関係性、そして「期待しすぎず、無関心にもならない」という“緩やかな関心”というスタンスについて考えてみたいと思います。

期待は「信頼」か、それとも「押し付け」か?

そもそも、「期待する」とはどういうことでしょう?
たとえば、「あの人なら分かってくれるだろう」「こうしてくれるはずだ」という感覚。それは、相手への信頼や希望が根っこにある行為だと思います。実際、自分を頼ってくれる人がいるのは悪い気がしません。それどころか、嬉しいと感じることすらあります。

しかし、この「期待」という行為には厄介な側面もあります。期待が裏切られたときに生じる失望や怒りは、すべて自分の中に積み上がるからです。相手に何の義務もないにもかかわらず、勝手に期待して勝手に失望する。この仕組みには、少しモヤモヤしたものを感じます。

さらに、「期待」にはどこかで自分の願望を相手に押し付ける側面があります。「こうしてほしい」「こうあってほしい」という気持ちは、突き詰めると自分の都合や欲求を相手に当てはめているだけなのかもしれません。相手を尊重しているようで、実際には自分の理想像を押し付けているだけではないか――そんなふうに考えることがあります。


期待しない生き方は、本当に楽なのか?

僕が他者に期待しない理由は、「期待しないほうが楽だから」です。期待しないことで失望や怒りを避けられますし、相手に負担をかけずに済む。関係が破綻するリスクも低くなる。だから、「期待しない」というスタンスは、ある意味で合理的な選択です。

でも、この「期待しない」という生き方には、良い面ばかりではないとも感じています。期待しないことで、自分の心を守ることはできますが、その分、他者に対する関心が薄くなる。相手を深く知ろうとする気持ちがどこかで途切れてしまい、やがて「無関心」に近い状態に陥ることがあります。

たとえば、相手を理解しようとするときに、「自分だったらどう考えるか」ではなく、「その人の立場ならどう考えるか」を想像するようにしています。でも、相手との違いが大きすぎると、つい「まあ、そういう人もいるよね」と距離を取ってしまう。そして、その距離が「冷静さ」ではなく、「無関心」につながる瞬間があるように思うのです。


「緩やかな関心」という新しいスタンス

期待しすぎず、無関心にもならない。その間にあるスタンスはないのでしょうか?
そこで僕が考えたのが、「緩やかな関心」という考え方です。

緩やかな関心とは、相手に過度な期待を押し付けるのではなく、相手の存在や考えに純粋な興味を持つことです。「この人はどういう価値観を持っているのだろう?」「この状況でこう考えるのは、どんな背景があるのだろう?」といった具合に、相手を知ろうとする姿勢を指します。

ポイントは、「こうしてほしい」という願望を含めないこと。あくまで相手の考えや価値観を知ることに重きを置く。このスタンスを取ることで、相手に対して無用な期待やプレッシャーを与えずに済むのです。適度な距離感を保ちながらも、相手とのつながりを失わずにいられる。そんな絶妙なバランスが「緩やかな関心」にはあるのだと思います。


他者への期待が映す「自分の影」

最終的に、他者への期待とは、自分自身を映し出すものでもあると感じます。「こうあってほしい」「こうしてほしい」という願望の中には、結局は自分の中の未解決な欲求が隠れている。期待を手放すことは、ある意味、自分の中の欲求と向き合う行為なのかもしれません。

ただ、期待を完全にゼロにする必要はありません。期待することで得られるつながりや信頼は、人間関係にとって大切なものだからです。大事なのは、期待を押し付けることなく、相手を一人の独立した存在として尊重すること。そして、「緩やかな関心」というスタンスが、そのバランスを取るのに役立つのではないでしょうか。


期待の先にあるもの、あるいはパラダイス

他者への期待とは、信頼であり、願望であり、ときに重荷になるものです。そして、「期待しない」という選択肢にも良い面と悪い面があります。そのどちらにも偏らず、間にある「緩やかな関心」というスタンスを取ることで、僕たちの人間関係はもう少し柔らかいものになるのではないでしょうか。

期待しすぎず、無関心にもならない。そのちょうど間で、相手を知ろうとすること。その関心が、これからの人間関係を豊かにする鍵になる気がしています。

さて、あなたは「他者への期待」についてどう考えますか?

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