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自己紹介|改めましての僕としんさん
「決めない?いや、決められない?いやいや、決める必要がない?――どれが正解かなんて、僕にはわからない。いや、わからないということだけは、わかっている。」
僕の知り合いに、しんさんという男がいる。
彼はクリエイティブディレクターであり、考えることを生業にしている。
考える。考える。とことん考える。
思考の海を泳ぎ続け、岸にたどり着くことはない。なぜなら彼は、決めない。いや、決められない。いや、決める必要がない。
「結論を出すっていうのは、要するに“もうこれ以上は考えなくていい”って線を引くことだよね?」
「そんなの、もったいなくない?」
もったいなくなくない。
しんさんにとって、“考える”とは、食べることや寝ることと同じくらい根源的な行為らしい。
朝起きて、目玉焼きの焼き加減を考え、仕事をして、決断しないことを決断し、夜眠る前に、なぜ今日もまた決めなかったのかを考える。
そんな日々を、彼は送っている。
「決めない人間は、優柔不断なのか?」
「いや、違うよ。決めないというのは、一種の哲学なんだ。」
思考を続けることで、新たな問いが生まれる。
その問いに向き合うことで、また思考が深まる。
つまり、決断とは思考の終わりを意味する――ならば、決めないことこそが、考え続ける者の在り方なのだ。
***
ここまで書いて、僕は思う。
いや、思うというより、少し違和感を感じる。
――おかしい。
しんさんのことを書いていたはずなのに、僕の思考まで引きずり込まれている。
いつの間にか、「決めない」という行為そのものについて、考え始めている。
まるで、彼の思考が伝染したかのように。
「そういうものなんだよ。問い続けるっていうのは。」
しんさんが、そう言った気がした。
いや、実際に言ったのかもしれない。
彼なら言いそうだ。
僕は、思考の迷宮に足を踏み入れながら、もうしばらく決めないことにした。
――この話のオチを、どうするかを。
と言うことで、自己紹介を少し。
改めまして、しんです。
ブランディング会社でクリエイティブディレクターをしています。日々、問いを立てたり、考えたり、決めなかったりしています。
「人が活きる場所を創りたい」と思いながら、チームで人の心がダイナミックに揺れ動く瞬間を追いかけてきました。だけど、その「活きる場所」ってなんだろう?と今も考え続けています。
興味があるのは、リベラルアーツや人文知、そして「人の差分」。
「自分と他者の違い」って、面白いなと思うんです。だからこそ、その違いが交わる瞬間に、物語が生まれるんじゃないか、と。
このnoteでは、「考えるけど何も決めない人の話」を軸に、日常のモヤモヤや、歴史や哲学の話、時には物語なんかも交えて書いていきます。
決めない僕が考える、ちょっとした問いかけ。
その問いに、あなたなりの答えを探してもらえたら嬉しいです。
「で、結局、何が言いたいの?」って?
――それは、あなたに考えてほしいんですよね(笑)。
これからも、どうぞよろしくお願いします。