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嫌なことや嫌いな人から全力で逃げる勇気

「逃げることは恥ずかしいことだ、困難には立ち向かえ!」(そして死ね)

日本特有の武士道精神か、はたまた戦時中の軍隊精神とでも言うべきか、このような思想が日本では今もなお当たり前のように根付いている。

「逃げ=恥」という図式は、私の考えでは権力者が自分の盾や剣として下々の者を使い潰すための非常に便利な道具なのだと思う。

有事の際に逃げずに戦って死んでくれる兵隊がいなければ、権力者はその権力を維持できない。

だからこそ権力者は逃げずに勇敢に戦って死んだ者達のことを讃え、無様にも敵前逃亡をした者をひたすら貶め、時に敵前逃亡罪で処刑したりもする。

日本の戦国時代などではお家取り潰しなどと言って逃げた者とその一族郎党をも徹底的に弾圧したそうだが、そうしなければならないだけの事情があったのだ。

つまりは権力者の保身だ。決して本当に逃げることそのものが恥なのではない。

一個人の視点だけで考えた場合、逃げずに死ぬより、生きて再起を図った方が良いに決まっている。ただ、権力者と権力者が作り上げた社会の目がそれを許さないだけなのだ。

そしてその精神性は現代においても根強く残っている。逃げることは恥だ。困難には立ち向かわなくてはならない、と。

確かに場合によってはほどよい困難に立ち向かい、乗り越え、報酬を得たり成長したりする方が良い場合もあるだろう。

しかし病気になったり、時に死んだりするほどの困難に立ち向かって、本人は一体何が得られるというのだろうか。それは単に権力者を守るための犠牲ではないだろうか。

この一見平和そうに見える現代日本で、パワハラやブラック労働で過労死したり自死する人が後を断たない。

社会の中でパワハラをはじめとしたハラスメントに遭うかどうかは運次第だ。ガチャと言って良い。断じてハラスメントを受ける側の個人の資質に起因することではない。

またブラック企業に就職するかどうかも入ってみなければ本当のところはわからない。そんな企業に入ったのが悪い、自己責任だ!などと的外れな批判する輩もいるが、巧妙に隠されている場合や、本人の環境や境遇などによって個人の力で絶対に回避できるものでもない。

だからこそ、逃げる勇気が必要なのだ。

身の危険を感じたらまずとにかく逃げる。これはどんな動物だって自然にやっていることだ。逃げない人間の方がおかしいのだ。

嫌なこと、嫌な人、合わないことは誰にだってあるが、これも「自分にとっての危険」だと思っていい。

こんなことを書くと「なんでもかんでも逃げ続けてたらロクな人間にならない!」などという、それこそロクでもない人間になってしまった人からの批判を受けそうだが、そんな人が最も権力者の都合の良い相互監視人間なのだ。

嫌なことから逃げずにひたすら耐え続け、心の病気になってしまってから布団の上で信じられない気持ちで「なぜもっと早く逃げなかったのか」と後悔してからでは遅いのだ。

嫌なこと、嫌な人、合わないことは容赦なくその人の生きる気力を奪っていく。だからこそ危険なのだ。だからこそ生きるために逃げ、避け、隠れなければいけない。

その逃げ道を封じているのが「逃げ=恥」という社会の呪いであり、「嫌なことから逃げるな!」と声高に脳死で叫ぶ根性論に凝り固まった権力者のいいなりか、権力者そのものなのだ。


私は以前、上司からパワハラを受けたことがある。部署が異動になったその上司は、異動先の部署でも部下に苛烈なパワハラ(いじめ)を行っていた。

その部下の一人は一年と経たずに退職の選択をしたが、その方(X氏とする)と退職の際に飲みに行ったことがある。その時の会話を今でも時々思い出す。

「セネカ太郎さん、よくあんな人の下で耐えられましたね。私はもう無理です。これ以上あの人に関わったら病気になっちゃいます」

「いや・・・、本当にお疲れ様でした。私もあと少しで病気になるところでした。Xさんの退職の決断本当に凄いです。私は単に辞めるのに勇気が足りませんでした」

「そうなんですか・・・。会社のみんなを裏切ったみたいで、セネカ太郎さんにもそう思われていないか心配だったんです」

「裏切りなんてとんでもないです。本当に会社を裏切ってるのはパワハラ上司です。あの人の下にいた私が一番良くわかってます」

辞めたX氏は今では別の会社の正社員として良い環境の中働いているらしい。私は逃げる一歩手前でパワハラ上司の異動で環境が変わり、同じ会社でまだ運良く働けている。そしてパワハラ上司は未だに別の部下に元気にパワハラを行っているらしい。

嫌なこと、嫌な人など同じ刺激を受けてもそれを苦痛と感じるかどうか、苦痛の度合いや苦痛に耐えられる限界も人それぞれ違う。そんな当たり前のことすら考慮せず、単に「嫌なことから逃げるな!」などとどうして人に言えるだろうか。

嫌なことや人や合わないことから逃げず、病気になったり死んだりしても結局誰も責任など取ってくれないのだ。どれだけ「逃げるな!戦え!」という声が無責任かおわかりいただけただろうか。


権力者の都合の良い「逃げ=恥」の図式はおそらく今後もずっと変わらないだろう。

それでも、私はこの記事を最後まで読んでくれたあなたに言いたい。

嫌なことからは無理をせず、ちゃんと逃げてくださいと。




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