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第87葉, 遠くを眺めて、 歩みをとめて

こんにちは、yasu59 です。

最近は また、オーリーの曲を聴いている。今まではあまり響いてこなかった曲たちが、最近になって響いてくる心地がする。それなのに、以前よく聴いていた曲の良さが霞んでくる… ということが無いから、不思議だ。

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少し前、ふらっと立ち寄ったイベントのステージに 数年前よく聴いていたミュージシャンが招かれて来ていた。そのミュージシャンが来ている事なんて知る由もなかったから、すごく驚いたし、生で聴けただけでもう 気分は最高潮だった。アンコールはできなかったが、握手までしてもらえた。

その帰り、昔(と言っても 3年前くらいだと思う)よく聴いていた曲たちをたくさん聴いた。「いいなぁ、特に声がいい」とつくづく思った。しかしながら それは"気分の良さが相俟っていたから”だったのか、そう長くは続かなかった。

その中には、今でも印象に残っている曲が2つある。
・eill 「花のように」
・THREE1989 「夏ぼうけ」

これを書きながら、また改めて 聴いてみた。やはり声がいいし、詞もいい。立ち込める生活感のようなモノ、もまた 好きなのかもしれない。

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何かと、慌ただしい日々が続いている。それが苦痛という訳でも、被害的になっているわけでもない。ただ、目の疲れが溜まってきているな… と思っていた際に ふと気づいたことがあった。最近、全然 遠くを眺めていない。

料理をするにも、皿を洗うにも、本を読むにも、文章をタイプするにも 集中したい点と目の距離が近い。その時間が日々の多くを占めてくるようになり、バランスが取れていなかった と振り返ってみて思う。

そういえば 最近は、明るい時間帯にバスや自転車でマイペースに目的地へ向かったり 湧水地や喫茶店でぼーっとしたりする事が減っていたように思う。喫茶店へは 行くには行っているのだが… 次の予定の時間があって ゆっくりは出来なかったり、その中でお店の人や常連の方たちと慌ただしく喋っていたり、お店に行く事それ自体が目的になっていたと今 感じる。

少しだけ 歩みのペースを緩めよう。
時には、とめてみたって 良いかもしれない。

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少し意識をして、遠くを眺められる時間や機会を採るようにしたい。その為にも、気ままな "目的地への向かい方" を 時には選択する。人や車の多さ / 人工的な強すぎる光 は、今の自分とは 相性があまり良くないから。

生活から一時離脱しても、また戻って来れるような バランスが肝心。バランスというよりも、「遣り繰り」という言葉の方がしっくり来る気がする。

ー筆おきー

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