第65葉, 生きている証とか 顔つきとか
こんにちは、yasu59 です。
1年ぶりくらいにお会いした方から、「精悍な顔つきになったね。」と言われました。顔つき / 顔立ち 似てはいるけれど、全然違うイメージがあると思う。顔立ちは 生来のものというニュアンスが強い気がするが、顔つきは その人の生き様や経験、信条や考え方が反映されてくる印象がある。
少し前にも、「何気なく、 と さりげなく の違いってわかる?」と訊かれた。すぐには答えられなかったが、漢字にしてみると判るかもしれない。「然り気なく」、そうだ / そのようである と ”相手” に悟られるような様子がなく… と解釈すれば、、、大きな違いは 行為の対象者の有無ではないだろうか。
ーーー
日々は " 然り気なく " ではなく、何気なく / 何とは無しに 過ぎていく。その、一見 忙しないような毎日に… 生きている証とは、一体 なんだろうか?
ふと見かけた、折坂悠太さんの動画での 赤い耳が印象的だった。前の記事でも 折坂さんについては触れたが、その見え方の違い / 感慨 というのは 「生活の匂いの色濃さ」だったように思う。それと共に、その人の思想性というか その人の血の通った言葉や表現、身振りや手振りも大事だと思う。
どちらかというと… 前者は 生きて ”いる” 証だが、後者は 生きて ”きた” 証かもしれないけれど。
__
人から薦められて、イリナ・グレゴリ著 『優しい地獄』(亜紀書房, 第1版)を読んでいる。いい本です、印象的なフレーズを 本書より以下に引用する。
なんでもかんでも 言葉で表現できる、とは 思わない方がいい。あくまでも、言葉は後付けで 伝えたり表現したりするための一手段に過ぎない。しかしながら、誰かの免疫を高めうる言語や表現、言い回しもきっと 存在する。
その事を、いつ何時も 忘れないようにしたい。
ー筆おきー