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第50葉, 水面とか 自分の部屋とか

星野源さん と 折坂悠太さんに流れているメロディーは
似ている というか、どこか 通底するものがある気がする。

折坂さんの曲の歌詞を聴いていて、ふと思ったが
この人が言う ”男” や "女" というコトバには
付随的な意味が込められていない気がするのだ。

ただ、その風景にいたのが 男だったり、女だったりしただけ。
おそらく 風景の解像度を上げる以外には、何の謀りもない。
私たちを取り巻く「構造」から、誰よりも自由な気がする。
美しいな と思う。

ーーー

揺れる水面に反射した光が
周囲の樹々や壁に投影され、そこでもまた きらきらと揺らめいている。
そんな情景が、すごく好きです。

情緒とは、教養とは、自我とは、一体 何であろうか?
自分がある、芯があるとは どういった事なのか?
答えは出ない。

最近は、よく "自立" という事について考える。
「ひとりの時間を楽しめる」という事は 自立しているという事なのか?
・感情のバランスがとれる
・自分の感情に、自分で責任を持つことができる
・依存先が複数ある …etc

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サードプレイスを持つ事が大切なのは 言わずもがな。
店好きな自分にとっては、特に。

そして、自分の部屋を持つこと。
これって、結構 大事なことだと思う。

女性が小説を書こうと思うなら、
お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない。

ヴァージニア・ウルフ

いかに、構造から 自由でいられるか。
外連味なく、プレーンに。

靴を磨いて、折々の風景をつくり 刻む。
そのために、次は どんな場所に自分の部屋を持とうか

ー筆おきー

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