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第84葉, 線画とか パトリオティズムとか 田舎道とか

こんにちは、yasu59 です。
中々 まとまっった時間が取れず、遅れてしまいました。

少し前に 友人宅にお邪魔した際、お昼をご馳走になった。その後、食後の時間をゆっくり過ごしていると ハナレグミの「線画」という曲の入ったアルバムを流してくれた。窓から見える風景、聞こえてくる川を流れる水の音、心地の良い季節感と部屋の中へ滑り込んでくる風… それらが相俟って すごくいい時間だったのを、「線画」を聴く度に思い出す。

やっとこさ 植本一子, 滝口悠生 著「さびしさについて」を読み終えた。めちゃくちゃ良かった。往復書簡というか、手紙ならではのやりとりのスピード感(遅さ)がすごく心地よかった。以前から、この本のもととなった自主制作本が気にはなっていたのだが、時既に遅し で手に入らなかった。また 読み返したいと思えた本だ。

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長田弘さんの初の詩集「われら新鮮な旅人」を読む機会があった。そこには、パトリオティズムという 耳慣れない言葉が出てきた。その言葉を、「長田さんは大事な言葉として扱っている」という印象を受けた。最初はあまりピンと来ず、しかしながら 頭の片隅にその印象が確かに残っていて、インターネットで調べてみた。

氏曰く、それは 欧米では生活様式への愛着を指す言葉 との事。それは、狭量で どこか高揚した「ナショナリズム」とは一線を画するものだという。

調べてあたったのは、氏の逝去の前日になされた 毎日新聞によるインタビューの記事だった。20代の頃に出版した最初の詩集から、最期のときまで 一貫していた。やはり この人の言葉は信じられる、信じていい言葉がまだあるという事実に 私は改めて励まされた。

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ジブリ版の「カントリーロード」は、故郷や地元への郷愁を感じつつも 都会・街で生きていくイメージを抱く。わからなくもないのだが… 今の私が住んでいる周辺環境や、「線画」のイメージ、そして 「パトリオティズム」という言葉を経て、この歌詞には共鳴しない / できないと感じる。

(原曲のニュアンスは、ジブリ版とは少し違うのだろうか?)

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自分の望む環境で 生活してゆく事は、大切だな と改めて感じる… 今日この頃。まぁ、それがとても難しいのだが。私は、静かな環境や綺麗な水が近くにあって 好きなお店も程近くにある。そんな環境で 美味しいものを食べたり、一服したり 本を読んだりして、たまに音楽を聴きに行ったり 近しい人と話ができたりしたら、十分に今は幸せである。

きっと これは、意図的に閾値を下げた「小さな幸せ」ではない。急いで 有り体な "幸せ" へ近づこうとしなくて良い、という学びを得た。まぁ、紆余曲折あったなぁ… 。

ここでは書かなかったが、オーリーの曲たちの影響も多分にあるように思う。今は、ライブ会場で購入した「薮IN」を読んでいる。

ー筆おきー

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