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第81葉, 一服とか 深夜高速とか 病識の欠如とか

またもや、日曜以外に… どうも、yasu59 です。
ようやく (心の)忙しさが ひと段落しそうな気配があります。
そして 長い夏が終わりそう、そんな気配もありますね。

引っ越しをしてから、やがて 半年が経とうとしている。
メンタルヘルス? における 住環境要因って、大きいなと思わされる。(きっと、生活の中で「どんな音楽を聴くか」も結構 大事なのかもな… と同時に、漠然と思う。)

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先々週の末 声をかけてもらって、カフェバーで開催されるライブに行ってきた。何度が その日の演者の演奏は聴いた事があるのだが、どんどん どんどん 上手くなっているのが判る。アンコールは「深夜高速」、痺れた。

最近の流行に疎いのは言わずもがな だが、社会における "病識の欠如" というものを感じている 今日この頃。以前から 何となくは感じていたが、なだいなだ 編(著) 「こころの定点観測」を読んで、解像度があがった気がした。音楽シーンにおいても それは顕著な印象を受ける。(勿論、杞憂であれば それに越した事はないのだが…)と、フォーク好きな輩が申しております。

私もご多分に漏れず、被害性や被受傷性が顔を覗かせてくる事がある。
以下、引用させてもらう。

子育てがラフで荒削りだった時代は過ぎ、濃やかな関係性のなかで丹精が尽くされるのが一般となった。(中略)反面、そうして育まれたこころの世界は良くも悪くもデリケートで微妙に傷つきやすいものともなった。また、仕合せに大事に育まれて当然となれば、そのわずかな欠落や齟齬も大きな傷と体験されやすくなる。傷であれば、外から与えられたもののはずで、すなわちなんらかの個人的な被害という色を帯びて感受されやすい。

「こころの定点観測」(岩波新書), 第6刷, こころにかかっていること(滝川一廣) , p.187-188

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「一服する」とは、いい言葉だなぁ と思う。
一服すると、また頑張りますか と思える。

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永井玲衣 著「世界の適切な保存」(講談社)を 飛ばし飛ばしで読んだ。やはり良かった。

(中略)暗記していた。だが、それは適切な保存ではなかった。頭の中に、置き去りにされてさえいなかった。暗記することで、わたしは忘却した。

「世界の適切な保存 」, p.245 より

言葉を失ったというより、言葉を育てたいと思う。感じたことのないこの経験の言葉を、もう少しだけ見つけたい。

同上, p.247 より

言葉がなかった、筆舌に尽くし難い では… きっと まだ、適切な保存たり得ない。それで 言い切った / 十分に陳述できた と甘んじない。まだ きっと、自分の中の言葉を育てられる筈だと 信じ行動してみる。

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言葉を失った / 言葉を育てる の対比ではないが、
「頑張ろう」と「頑張りたいと思える」にも 結構な差があるように思う。

奇しくも 先日は、頑張りたいと思えた。
(ネガティブなニュアンスは持たせたくないが、)励まされたのだ。

ー筆おきー

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