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第80葉, ベーグルとか ウィスキーとか 菜食主義とか

こんにちは、yasu59 です。
最近 日曜日に投稿する事ができていませんね、今日も金曜ですし。
 
ここ1年くらい、お肉をあまり食べなくなった。全く食べないというわけではないが、胃腸が弱くなったのか もたれそうな感じもして、結果的に あまり食べていない。そういうわけで… 相対的に(?)ベジタリアンな私。だが、菜食主義者かと言われると、、、何だか違う気がする。“主義”と呼べるほど、堅い理念があるわけではない。
 
まぁ、しっかりと生活ができていれば 何でも良いのかもしれないが。
 
自分の中で、お肉をあまり食べなくなる → パンがより好きになる の次の段階にやってきたのが、ベーグルブームである。無性に食べたくなる、あの美味しさ。今日もまた、隣町まで買いにいってしまった。結構 遠いのに… 買いに行けてしまうから、恐ろしい。自分でも、作れるようになりたいものだ。
 
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ここ最近は、のろしレコードの「コールドスリープ」をよく聴いている。
冒頭の歌い出し “目を覚ませば ふたり 裸” から、どんなふたりを連想するだろうか?
 
それからまた、印象的なのが あの星へ行こう/にしよう の使い分けだと思う。思うに、「行く」という言葉の主体性の薄さというか、「ある場所に行く」という行為自体が生活から浮いて 行って何かをするということが目的となってしまっている今。ゆっくりでいいから、あの星という 今・ここという状況とは全く別な状態へ 自らの手で主体的に変えていく… という意味合いでの “あの星へ行こう” で歌詞は締めくくられる(と、私は解釈している)。
 
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ここで、2021年のフジロックの出演自体に際して オーリーが寄せた文面の一部を以下に引用させてもらう。

出る理由と、出ない理由を、同じ量書いて、見比べました。出る理由の方がずっとわかりやすく、潔いです。しかし、その「潔さ」が、私の望むものなのだろうか?と疑問に思いました。
私が望むのは、誰もがその人なりの生の実感を持ち、それが守られる社会。潔くなくとも考え続け、その結果が、思いもよらない形で実を結ぶ社会です。

(中略)

信頼できるアーティスト、スタッフの方々が、苗場に向かいます。きっと同じような迷いと、想いを抱えていると想像します。私の知る限り、多くの方が疲弊しています。なぜこんな苦しい判断をさせられるのか。
一般企業や国民に多くの責任を負わせ、必要のない分断を加速させる構造を作った今の政府に対して、改めて憤りを感じます。

今回も、開催や出演を巡る意見の違いで、いき過ぎた分断が生まれる事を心配しています。私の思う表現の場は、マスゲームではありません。流れが多様なほどに、より自由で、強固で、風通しの良い場が作れると信じています。

最後に。凄く、ホワイトに立ちたかった。
この数年、そこへ向けて歩んできたと言っても過言では無い。これ以上ない生の実感と、楽しみを諦めてでも、私は、私の好きな未来に行きたいと思います。

https://orisakayuta.jp/topic/2021/?page=2

よく生きるとは、どういった事だろうか?
最後の一文に痺れた。時として、今をよく生きる事と、未来をよりよく生きるために 今なすべき事は一致しないことがある。
 
増刊号のユリイカで、オーリー(という人)は生活に対して真面目だという記述があった。そして、フォークとは民衆の歌であり、生活の歌だ とも書いてあったのだ。
 
表現は 生活とともに。

そうやって 私の行きたい、「私の好きな未来」というものを考えてみたい。
僻地の僕らに魔法をかけるのではなく、
呪い(まじない)を解くかのように。ゆっくりと、ね。
珈琲やウイスキーなんかを片手に、でも いいな。
 
―筆おき―

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