一目惚れした1Kに一目惚れした先輩を泊めた冬の話
社会人なりたての夏、初めての一人暮らしを始めたのと、長期戦になる恋が始まったのは、まったく同じ時期だった。
会社に一本で行けるという理由だけで選んだ、三田線沿線の駅近くの1K。独立洗面台、築浅、南向き、2口コンロ、オートロック、広めの部屋…。わがままな条件をすべてクリアした部屋に、一目惚れして即決した。
もう一つの一目惚れは、4つ上の、OJTの先輩。仕事ができて、面倒見が良くて、しっかりしてるけど仕事以外で見せる抜けているところが好きだった。人懐っこくて世渡り上手な後輩を装って、強引に呑みに誘って力技で距離を縮めていた。
初めてこの家に泊めたのも、力技叶ってのことだった。普段誘っても断られる金曜日に、終電ぎりぎりまで呑んで、「金曜なんだし終電なんていいじゃないですか!」とゴリゴリに押して家に連れ込んだ。下心なんて一切なくて、ただもっと一緒にいたいだけだった。自分の中で、好きと下心は結び付かないんだと初めて知った。
ベランダで2人で並んで座ってたばこを吸って、宅飲みでありがちな濃いお酒をつくって朝まで飲み倒した。私だけベロベロになって途中から記憶が抜け落ちているけど、楽しかった。朝起きて近所でちょっと有名なパン屋で本日のおすすめを買って、設置したばかりのテレビで昼のワイドショーの紅葉特集を見ながら「ここ前付き合ってた人と行った」と漏らす先輩の言葉に嫉妬して、幸せな土曜日を過ごした。
2回目に泊まりに来た時は、シャワーを貸した。ぶかぶかのパーカーにぶかぶかのスウェットパンツを着てもらったのは、完全に私の部屋着の好みだった。めっちゃ可愛かった。無印良品のシングルベッドに2人で並んだ。恥ずかしくて背を向けてしまった。「ねえ」「んー」なんてやりとりをしているうちに眠りについた。
次の日の朝、あの時告白するべきだったって猛烈に後悔した。
結局先輩には、年の最終営業日の帰り際に、滑り込みで告白して振られた。
あれから、家に来ることはもちろん、2人で呑むこともなくなった。その間に、我が家にはルンバが設置され、2人掛けのソファが搬入された。どんどん暮らしが充実していく反面、虚しさは加速していった。
「ルンバ買ったんですよ」「Fire stick買って…」「ソファきてだいぶ楽になりました」。時間を被せて、偶然を装った喫煙所でたばこを吸いながら必死に会話を紡ぎ出した時も、「また来てくださいよ」とは言えなかったし、「じゃあまた今度泊まりに行くね」とはもちろん言われなかった。
そうしているうちに、また肩を震わす季節がやってきた。
先輩はその間に3回くらい恋人が変わり、私はいまでもうだうだと先輩のことを引きずっている。
公園の喫煙所で肩をすぼめて一緒に吸ったたばこ、「30分だけど」と終電ぎりぎりに公園で呑んだハイボール、「最近寒いですねー」と話していたら不意に心臓近くのコートの生地を掴まれてドギマギしていたら「このコートじゃ薄いよね」と笑われたこと、そして、告白して振られたこと。
淡い思い出ばかり詰まった新橋の公園にある喫煙所は、いつのまにかリニューアルされて閉鎖的な造りになっていた。
想いを伝えてから丸1年。
社会人2年目の一人暮らしとしては、十分に快適な空間。風邪を引いて休んだ12月の昼下がり、不意に「引っ越そう」と思った。この部屋には、大切にしておきたい思い出が多すぎる。
新しい土地で、新しい部屋で、大切な人との新しい思い出を作れるだろうか。
もしかすると、結局先輩を忘れられないかもしれない。そうしたら、私は先輩になんて声をかけるのだろうか。
「私、引っ越したんですよ」
きっと、それ以上は言葉が続かない。
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