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CHIPP

あたしは実家でちわわを4匹飼っていた。

最初に来たのはちょこ。

ちょこは女の子でまるでリラックマそっくりで、

いつだってどっしり、食欲旺盛のぐうたらな子だった。


次に迎えたのはちっぷ。

ちっぷは男の子で、いつだってやんちゃで好奇心旺盛だった。


ちょことちっぷは夫婦になり、

その後くっきーとでーるとみろが生まれる。

みろは親戚のおうちにもらわれていった。


今日はちっぷの話を。

子供が生まれて少しした頃だったかな。

ちっぷが突然、様子がおかしくなった。

まっすぐに歩けずに右側に倒れていってしまう。

ある日みろくんを引き取りに親戚が来た日。

ちっぷはまっすぐに歩けず、様子がおかしいので、

客間の壁一面に全部マットレスを立てて、

ちっぷがぶつかってもいい部屋にして、見守る。

親戚が来ていても、あたしもその部屋で一緒にずっと過ごした。


ちっぷはそこから、ベロは出たままになり、

上手に動かすことが苦手になった。

お水も上手に飲めなくなってしまうので、

おばあちゃんは小さな製氷機で氷を作って、

少し水に溶かして角を丸くさせたものをちっぷによくあげてた。


ごはんも自分では食べられなくなって、

付きっきりでごはんをあげた。

最初の頃は柔らかいごはんを入れた容器を口のそばで持ってあげて。

そして、それも食べられたくなって、太い注射器で口に入れてあげるようにして。


ちっぷは回転もするようになった。

右回転にぐるぐるぐるぐると、ずっと回っていた。

おばあちゃんのこたつが彼らの部屋だったので、

こたつの中に入りたくてもぐるぐるの回転と

こたつの入り口のタイミングがなかなか合わなくて、

入り口でずっと回っていることもよくあった。

そのたびに息子のでーるはちっぷのおしりを押してあげて、

ちっぷが部屋に入れるようにしてあげてた。


ちっぷの病気の原因は、調べたけれどわからなかった。

先生はおそらく脳炎だと思うけれど、はっきりはわからないと言った。


それでも。

先生は諦めずにちっぷと向き合い続けてくれた。

ちっぷはぐるぐる回転し続けてしまうので、

カロリーの消費量もすごかった。

それでもベロが上手に動かせないちっぷはどんどん痩せていってしまうので、

高カロリーの缶詰を買って、食べれるおやつをたくさんあげた。

それでもちっぷが2キロを超えることはなかなかなかった。


肝臓の数値もそれであがってしまうので、

月に一回は血液検査をして、必要であれば点滴をした。


ちっぷは、あたしが担当の子だった。

寝るときも2人で寝た。


お風呂からあがって2階にあがれば、

ちっぷは階段の上でくるくるしながら待っててくれた。

そのあと部屋で作業したりしてる間は先に寝ている私の母の布団で眠り、

あたしが眠るタイミングでトイレに行くと、

ちっはそっと布団から出てきて、「待ってましたよ」と顔を見つめてくれた。


眠る前にはいつもちっぷに話を聞いてもらってた。

最後には必ず、

「ちっぷは世界で一番やさしい子だよ。

 世界で一番大好きだよ。

 これからもずっと一緒にいようね。」と。

不思議なことにあたしの話が終わるまで起きててくれて、

終わった瞬間に「ふん!」と息を吐いて、

あたしの腕に顔をうずめてくれてた。


そこから、あたしは東京に引っ越すことになった。

最後までちっぷにはなぜか言い出せなかった。

最後の最後にちっぷに話したけれど、どう思っていたのかな。


引っ越してから2週間ほど経ったとき、

実家のライブハウスで大好きなOAUのライブがあり、

一人でチケットを取って観に行っていた。


アンコールの声がかかっていたとき、

ふと携帯を見ると妹からの鬼電とラインが入っていた。

おそるおそるラインを見ると、

「ちっぷが死んじゃった」と。


一瞬世界が止まった。

ライブではあたしが一番好きな彼らの「夢の跡」が演奏されてた。


ふんわりとした、どんよりとした何かが目の前におりてきて、

急いで会場を出て、車で家に向かった。

どうか夢であって。

そんなわけはない。



家に帰ると、母がちっぷを抱いていた。

泣きながら部屋に入ると、母は泣きながらちっぷを見せてくれた。

妹がいつものようにごはんをあげているときに、

つまらせてしまって、そこからもう戻らなかったって。

夜間の病院へも急いだけれど、間に合わなかったって。


母はあたしに言った。

「まりちゃんが引っ越して、僕もう大丈夫だよって。

 ごはんも時間かかるし大変だよね、

 もう大丈夫だよってきっと、

 あえてまりちゃん帰ってきているけれど家にいない時間を選んで、

 まりちゃんが辛くならないように旅立ったんだよ」って。


ちっぷはもう冷たくて、体はもう固まっていた。

どうか起きてほしい。

どうか嘘であってほしい。

そう思ったけど、

ちっぷの体の冷たさが現実を思い知らせてくれた。


ちっぷは9歳だった。

病院の先生に報告しに行くと、

いつも諦めずにちっぷと向き合ってくれた先生は、

「私たちができることは限られているんです。

 それでもちっぷくんが病気になってからこんなに長生きできたのは、

 ごはんをあげることも、氷でお水をあげることも、

 点滴も、治療も、

 どれもご家族の愛情があったからこそです。

 毎日の愛情があってこそ、ちっぷくんが長生きできたんです。

 私達の治療はご家族の愛情には勝てないんですよ。」と

優しい口調で話してくれた。


それでも、

これまで父親、おばあちゃんと見届けてきたけれど、

ちっぷがいなくなってしまったことが、

正直一番つらかった。

そのあとすぐに東京へ戻ったけれども、

しばらくは何もできずに、ひたすらちっぷのこと考えてた。

あらゆる失恋ソングをちっぷに重ねて泣いてた。

おばけになってでもいいから、どうしても会いたかった。


ちっぷは、本当にやさしい子だった。

ちょこが育児放棄みたいな状態になったときも、

子どもたちの世話をしたくて、

そばにいくけれども逆に迷惑になってたり、

あやし方がわからない上に、

突然子どもたちが動いてびっくりして逃げたり。

結局、母性が芽生えたちょこにいつも怒られて終わるようになった。


でもいつもそうやって、

子どもたちと一緒に遊んであげてた。

いたずらっ子だったけど笑

ちょこはリラックマで、ちっぷはコリラックマのようだった。


ちっぷが亡くなったあとに行った唄人羽のライブ。

2部構成で1部はてっちゃんのソロライブだった。

すると突然、「ミミィ」がはじまった。


この曲はてっちゃんが愛犬のちわわのために作った曲。

広がる歌詞にいろんなちっぷが溢れて止まらなかった。

玄関の前でくるくるしながら待っているちっぷ。

出かけるときにも玄関の前まで来て、じっとあたしの顔を見ているちっぷ。

眠る前の2人だけの会話。

くるくるして距離感間違えてあたしのことを踏んでいるちっぷ。

ちょこちゃんのことが大好きで追いかけてばかりいるちっぷ。

ただただちっぷのことが浮かんで、

我を忘れるくらいに泣いた。


ちっぷがいなくなってから、

あたしが東京に引っ越さなければもっと一緒にいれたかな、とか、

でもあまりずっと泣いていたら心配して困っちゃうよね、とか、

そんなことばかり繰り返して自分を責めたりもした。


動物の気持ちがわかるという占い師さんに見てもらったこともあった。

あまりのあたりっぷりに、本当に驚いた。

ちっぷが今天国で自由に体が動かせるようになって、

自慢気にやんちゃしてるとその人は言った。

あたしのことは兄弟のような気持ちで想ってるって。

今はあんなこともできるよ!これもできるんだよ!って、

とてもうれしそうに駆け回っていますよと。



ちっぷと出会うきっかけのペットショップは、

その後新聞記事で見かけた。

移動販売だったその店で買った子が病気になり、

返品したいというクレームが殺到しているとのこと。


ちっぷは脳炎だけではなく、皮膚も弱かった。

次々にいろんな病気が出てきてた。

先生は

「おそらくこの子はちわわが流行っているときの子で、

 無理矢理にかけあわされた血の濃い子なのかもしれない」

とも言ったことがあった。


病院代も、高カロリーのごはん代も、

ちっぷのための設備も、

ごはんの時間も。

確かに他の子と比べればたくさんのお金も時間もかかった。

でも、あたしはちっぷじゃなきゃだめだったし、

ちっぷと出会えて本当に幸せだったと思ってる。

他の子で代わりに、なんて絶対に思えないし、

返品しようとも思ったことは一度もなかった。


少し時間が経った今、

今でもちっぷそっくりな子を見つけると時間が止まりそうになる。

涙が出そうになる。

あいたくてたまらなくなる。


旦那は犬が飼いたいという。

ちわわだけは、もう飼えないやとあたしは言う。


今でも、

世界で一番かわいくて、

世界で一番やさしい子はちっぷだよ。

またいつか会える日まで。

愛しているよ。


5/3

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