HAHA

たまには母の話を。


うちは、思春期の頃には父と母は仲が悪かった。

会話も一切しないし、

同じ部屋の中で別居みたいにしている事実はとてもつらかった。

でも、どうしようもできなかった。


そんな中、父がガンになる。

自分の父もガンで亡くしている母は、

手術の日が近づくにつれて、少しずつ素直な気持ちを出してきた。

父がガンになってからの母は、弱くなった。

母から女性に戻ったようで、その母を妹が支えた。

それでも闘病している母は手をあげられても、闘った。


闘病が長くなり、

一度は成功した手術も、父の脳梗塞併発とともに再発。

その頃には父親のヒステリックも強くなり、

病院からも覚悟を、と言われる日々が増える。


いつか母と病院へ向かう車の中で、

母があたしに話した言葉がある。

「お父さんが生きたいのか、それともそうじゃないのか。

 お母さんはもうわからないよ」と。


父の余命宣告を受けたことを、

母の実家に報告しに一緒に行ったときのこと。

母は泣いて報告できなくなってしまい、あたしが伝える。

帰りの車の中で運転していた母は車を河原沿いに停めて、

「まりちゃん、ごめんね。

 いつかまりちゃんが結婚したときに、

 お父さんいなくてさみしい想いをさせちゃうね。

 ごめんね」と泣きながら謝ってきた。


病院からホスピスを案内された少しあと、

あたしが実家に戻っている日に父はそっと一人で旅立った。


父が亡くなり、お葬式の日。

棺に最後のお別れをするとき、

母はいちばん最後まで父のそばを離れなかった。

まるでそれは自分の夫ではなく、恋人を見送るように。

泣きながら最後まで離れずに、

みんながいる前でただ一言泣きながら

「愛してるよ」と言って父にキスをした。


そこから、

母は一人で二役をすべく、走り抜いている。

責任をまるで一人で背負い込むように。

いつだって自分のことなんか後回しにして、

あたしたち、そして甥っ子姪っ子たちを優先して。


お母さん。

幸いあたしも無事に結婚できたね。

でも、大丈夫だよ。

結婚式はあげていないけど、

さみしい想いはひとつもしなかったよ。


2人ではじめてお墓に挨拶をしたときに、

彼はあたしより長い間手をあわせて話しかけてたよ。

かぶっていた帽子を取って。

その後ろ姿に、あたしはそっと泣いたんだ。

お父さんに直接会いたかったな。

会わせたかったなって。


彼はそのあとあたしに言ったんだ。

「お父さんには全て見られている気がするから、

 正直今まで生きてきた中で一番緊張した」って。


ちゃんとお父さんのこと大事にしてくれる人だから、

この人とちゃんと夫婦になろうと決めたんだよ。

だから、さみしくなんかないよ。

安心してね。


父と母の家庭内別居は、

結局お互いが少しずつ意地をはった結果、

タイミングを失ってしこりとなってしまったのだろう。

今ならやっとわかる気がした。

仲直りするタイミングを、2人でもう一度話すきっかけを失って。


父は手術前にあたしにメールをくれた。

「この病気を直して、60歳過ぎたら、

 お父さんお母さんと一緒に旅行したいと思ってるんだ」と。


叶うことはなかったけれど、

2人が意地をはっていても、

お互いをちゃんと大事にしていたことを、

あたしたちはちゃんと知ることができたから。

だからこそ、叶えてあげたかったな。



ふと、

過去をこうして振り返ることはよくある。

前よりも思い出すことは少なくなったけれど。

でも、そのときにふと思う。

今生きている母を、ちゃんと大事にしようって。

そこを見失って、過去を思い出して会いたくなってるよりも、

その分母と顔を見て話す時間をちゃんと増やそう。

だって。

一緒にいられる時間には限りがあって。

今はきっといつか旅立ってしまうことになったとき、

きっと振り返る日を過ごしているんだから。


お母さん。

本当にありがとう。

愛にあふれた環境で育ってきたんだなってことを、

最近ふと思うことがよくあるんだよ。

守ってきてくれて、本当にありがとう。

長生きしてね。

コロナが落ち着いたら、

一緒にまた実家があったあの場所へ帰って、

おばあちゃんに会いにいって、

お墓参りに行こうね。



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