ボクのハッセルはリッチなカメラ
ボクのメインカメラの一台ハッセルブラッド907x50c。
フルサイズよりも一回り大きな中判センサーを積んだモンスターカメラ。なのに見た目は大きなおはぎ。
そんなハッセルがたまらなく好きなんだけど、今日改めてハッセルのリッチさを感じたよ。
家から徒歩10分の幹線道路沿いの歩道。ちょうど桜が咲き始めていて夕日がいい具合に差し込んでた。決して桜の名所って訳でもないし、すぐ隣に民家があって車が走ってるある意味「どこにでもある」景色。
ハッセルブラッド907x50cについてる換算35mmのレンズは、ドラマティックな広角アングルを作り出すわけでもなく、望遠でキリトリ世界を写すわけでもなく、ボクの目が見ているままの世界を見たままに写し出す。
どこにでもある風景に、見たままを写し出すレンズでボクは撮影開始したわけだけど、想像通り平凡な写真を量産してしまうわけで。
でもそれじゃダメだなってボクはいろんな構図を探し始めた。
横から入ってくる夕日で立体感を出してみたり。
木の枝で構図を作ってみたり。
割れ目から見える風景を撮ってみたり。
ボクはずっと構図に悩みながら四苦八苦してたわけだけど、家に帰ってきて撮った写真を見てみるとどれも「リッチ」なんだ。ここがリッチなんだよ、って人に簡単に伝えることはできないんだけど、写真を見たボクの目が訴えかけてくる。「この写真リッチだよね」
ハッセルブラッド907x50cはボディだけでも驚きの値段だから気になる人はぜひ一度ググって欲しい。ボディだけじゃなくてレンズもちょっとしたフルサイズミラーレスカメラが買えるくらい。だからハッセルブラッドの存在自体がリッチなんだけど、出てくる写真もリッチ感満載な写真だった。
それは家から徒歩10分の写真を撮るには勿体無いくらいのリッチさ。こんな写真しか撮らなくて申し訳ないね。
でも多分ハッセルブラッド907x50cはそんなリッチなカメラを普段の生活の中で撮影体験することをイメージして作られたカメラなんじゃないかって思う。
だってグリップのないカメラは普通のカメラと違って正に掴みどころのないカメラだし、たとえは野鳥を撮影するような緊張感とスキルが必要なカメラではぜんぜんない。
多分、ちっちゃな鞄にストラップもつけずに放り込んで、カフェに入ってからカメラ持ってたことに気がついて取り出して撮影する、そんな使い方の方が似合ってるカメラ。
カメラの能力的には絶景を捉えるにふさわしいカメラだけど、家の近くの桜でもいいよって言ってくれる懐の深さが907x50cにはあるんだろうな。
すごく美しくてリッチな写真を見ていると、心の底からこのカメラを所有していてよかったなって思えるし、これからも愛し続けたいなって感じる。
普通の感覚の人にはとても持てないカメラだし、同じ高級カメラのライカよりはマニアックだし。車で言うならゴルフとかベンツじゃなくてサーブのような感じなのかもしれない。そういえばサーブもハッセルブラッドと同じくスウェーデンのメーカーだったね。
いろんなカメラがボクの目の前を通り過ぎていって、今手元にハッセルがあることに感謝しかないなと思った春の夜。ボクの心をリッチにさせてくれた。