助けられる人/見捨てられる人の違い

残酷だけど世の中に見捨てられる人はたくさんいる

「見捨てられる」というか「その人が困っていたとしても見かけた人に支援をしたいと思ってもらえない」ってイメージが近い

助けられる人と見捨てられる人の違いを少し考えてたことがあって、それ以来少し人生の過ごし方が変化したのでその記録として残す

この世の中にはわかりやすく「人生右肩上がりな人」と「人生進まない人」の二つに分かれる

右肩上がりの人にも紆余曲折あるけど基本的には年齢を重ねるごとに豊かになっていく。

ただ、

「ずっと停滞or落下してる人」は何歳になっても、本当に変わらない。

ライフステージは変わるだろうが人間としての格は何も変わらない。

そういう人は経済力に限らず全てにおいて貧しい場合が多い。

貧しいから右肩下がりの人生なのではなく、周りから支援をしたいと思ってもらえない人だから貧しい可能性が高い

残酷だけど貧しい人は貧しくなる理由が明確にある。

お金に関する知識の有無だけが原因なわけではない

「ずっと停滞or落下してる人」がどうすれば支援をしてもらえるような人間になれるのか、自立できた人間になれるのかを残しとこうと思う

【助けられる人と見捨てられる人の違い】

助けられる人と見捨てられる人の違いを大雑把に言うと

「その人が社会に対して価値を落とせる人間かどうか」

支援する側の人は無意識だとしてもこの視点で人を見ている

色んな人から助けてもらえる人は常に前向きで自分の人生にはっきりとした目標を持って人生を過ごしてる

自分はどういう人間になりたくて、どんなことをやりたいのか。

人生の目的を持っているかどうか。そして、人生に目的を持って生きている人の大半はその他の人間に何かを与えられる人になる

そしてその規模感もみられてる。

例えば

めちゃくちゃ美人で俳優になりたい子が居酒屋で生活費を稼ぐためにバイトしてたとする。

「私は色んな舞台やドラマで活躍できる人になりたい」と本気で言っている

もしその夢が実現する可能性を少しでも周りの人間が感じたら、みんな少なからずできる限りの支援をするだろう。「居酒屋でバイトしてる場合じゃない!」といいみんなでその人の人生を前に進めるための議論がされるはず。

ここで注意なのが

「可愛いから」という個人的な理由だけで支援してもらえる可能性は全然あり得るが、個人的な理由の支援は必ず見返りが求められ揉める確率が高い。短期的に考えて支援を受けられるのは嬉しいが、長期的に見てお金の揉め事はトラブルの種になるし全てが無駄になってしまう

「その人が社会に対して価値を落とせる人間かどうか」という視点は、支援する側される側双方が満たしてなければ関係は崩れる

人間性の違い

最低限の人間性もみられてる

大きな夢を持ってるが口だけで何もできない人間は見透かされている

当たり前に、理想を膨らませることと理想を現実化するために行動することは別。行動しない限りは理想は形にはならない

この世の中には悲しい話だが夢を語りながら何もしない人間はそこそこいる

そして、支援ができる心を持つ人はそういう人間を沢山見てきているし自分自身も夢を叶えるために色んな試練を乗り越えてる人だからこそ相手を透けるように理解できる

自分の力ではなく誰かの力を借りる前提で自分の努力を何もしていないような人はまず支援されないだろう。その考えが態度にも滲み出るので口が上手くてもバレてしまう

「人間ができていない人」の将来性はかなり薄い。

さっきの例えで行くと、将来が有望な人は自分の夢とは関係ないアルバイトの仕事や人間関係も丁寧にやっていたりする。人間としての基礎ができているし「やりたいことのためにやりたくないことをやる必要性」を噛み締めながら努めてる忍耐力を持ってたりする

支援をして、もし双方が望んだ結果が出なかったとしても、人としての基礎ができていれば揉めることはない。
むしろ、もう一度一緒に頑張ろうと励ましてくれるかも知れない
その関係こそ人生を豊かにするのだ

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