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沼野充義編/東欧怪談集

怪談というのは為政者によって正しく整備されるもの(歴史)ではない。

市民の市民のための物語であり、それ故地方特性や市井の文化が非常に色濃く反映される。

おおよそ超自然のものを扱う事が多いので、宗教観そして死生観、彼らが何を信じ何を恐れているのかをうかがい知ることができる。

河出文庫のこの一連のシリーズは怪談を地域ごとにまとめて編集したもので、今回は東欧、ヨーロッパの東の方。

具体的には下記の国の怪談、奇妙な話が収められている。

ポーランド

チェコ

スロヴァキア

ハンガリー

セルビア

マケドニア

ルーマニア

ロシア

ドイツ、フランス、イタリアなどのヨーロッパ各国と比べるとややマイナーなイメージが有る東欧だが、文字通りヨーロッパの左側に接しているわけで、つまり端の方にある。

そのままぢ続きで違う国、文化の地域になるわけだから、異人種、異国語、異文化が交流する混沌として時に不安定(侵略を受ける可能性がある)な性質を持つ。

結果宗教もキリスト教一強というわけではなく(冒頭の『サラゴサ手稿』の一遍もマルタ騎士団について扱っており、これはいわゆる十字軍の一派なのだがイスラムに影響がある)、ユダヤ教を始め、種々の宗教観がごった混ぜになっている。

複数の正解がある状況というのは姿のない怪異をあつかう怪談にはうってつけであって、幽霊、吸血鬼、呪い、悪魔、幻想、異形、悪夢が混沌として共存している一冊になっている。

原因と結果が示唆されている因果を内包した作品も多くて、いわゆるオチのある怪談としてスッキリ楽しめる。

因果は応報にもなるわけで説教臭くもなるが、悪心が裁かれるのを見るのはやはり安心する。

一方でいかにも実話怪談然としたよくわからない話も含まれていて、これが面白い。

「シャモタ氏の恋人」はなにか理屈っぽく冴えない男が怪しい女に魅入られる話で、これの累計は世界中にあるのだろうが、女怪の造形がややコズミックホラーめいていて非常に面白い。こういう怪談では男は生気を取られて不健全になっていくのが常套なのだがこの話だとそれはないようである。なにか元ネタとしての民間伝承があるのだろうか。

東欧といえばなんといってもワラキア公ヴラド・ツェペシュだが、やはり吸血鬼にまつわる話がいくつか収められている(ただしヴラドそのものの物語はなし)。

面白いのは「吸血鬼」でこれは死んだ男が吸血鬼になって戻ってき、生前住んでいた村に怪異をもたらす。落ちが唐突で説明もないので突き放された気分になるが、これは考えようによっては小さい村というコミュニティでの一方的な私刑の事実を怪異譚に仕立て上げることで正当化した、というようにも思えてなかなか怖い。不整合さも本当にあったのではと感じさせる。

私が特に好きなのが「バビロンの男」でこれはユダヤ教の悪魔祓士を書いた作品である。

面白いのはこの主人公の男、困っている人があれば我が身をかなぐり捨てて助けに行くのにみんなに憎まれている。ユダヤ教のラビは首肯できるが民衆にも恐れ避けられている。

おまけに悪魔からも憎まれているわけで日々様々な嫌がらせを受けている。いわばたった一人きりで世界と悪魔をむこうに回して戦っているのに誰にも称賛されない不幸な男なわけで、救いのない落ちもいかにも異国情緒が溢れていて良い。これをユダヤ教が正道以外認めない、という立場で書いたのかもしれないがそれにしては男があまりに不憫である。フォークロアっぽくて良い。

「生まれそこなった命」これは幽霊が取り付く人間を狙う緊迫感のある怪談。

徐々に幽霊側の事情が詳らかになってなんとも物悲しいが、この短編はなんと言っても心理描写が優れている。

怪異の恐怖と人間の男女の心的距離を扱っているが森閑とした人里離れた山奥を舞台に卓越した比喩と描写力で淡々とわかり会えない心がさらに離れていくさまを描いている。

東欧がどんなところがこの本で分るとは言えないが、怪談というきっかけで東欧の文化に触れることができる。知らなかったことを知れるというのは読書の醍醐味。

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