もう一人のアガキタイオン~県北戦士アガキタイオン~
本作は完成手前稿、紙版、電書版の三バージョンを読んだ。基本的には大きな違いはなく内容的にはほぼ同一だった……のだが、紙版と電書版とでは決定的な部分で違いがある。どれを決定稿として読むべきか悩んだが、ここでは電書版を決定稿として読むことにした。
日比野心労は会話の閉じカギ括弧で句点を省略しない。
今の小説で閉じカギ括弧の直前の句点を付けている小説はほぼ皆無に近い。では会話の閉じカギ括弧で句点を付けるのは間違いなのだろうか。
小学校の国語教科書では閉じカギ括弧の前に句点を入れるとしている。実は本来はそれが正しい作法なのだ。芥川龍之介や永井荷風の小説もそうで閉じカギ括弧の前に句点がある。かつてはそれが正しかった。ではなぜ今の小説、いや一般的な出版物で句点が省略されるようになったのだろうか。それにはいくつかの理由がある。字数を減らすため。禁則処理が煩雑になるため。文の終わりであることがほぼ自明であるため、等々。
日比野心労がすでに古の存在となった句点を頑なまでに打とうとするのは辞書的な意味における原理主義者だからであろう。文章の本来あるべき姿を求める求道者として、今主流の文章にたいして本来あるべき姿を求めて挑もうとしているのだ。
日比野心労の文字に対するこだわりはまだある。
読みやすさを犠牲にしながらも読点を付けないセリフというかたちで、自分の好きなものを語るときに早口になってしまうオタクの姿を描いている。読みやすさを犠牲としなくても読点を省略させても可能だろうが、早口というのはそもそも聞き取りにくい。だからその読みにくくさせることで聞き取りにくさも同時に描いている。
日比野心労の特筆すべき点はそれほど一般的ではない用語や言葉を使ってもそれに対して説明をしないことだ。それでいて知っていて当然のごとく使い倒しながらも、読み手を置いてきぼりにはさせない。その言葉が意味するものがなんなのか詳しいことはわからないながらもなんとなくそれがなんなのか理解できるように記述する。
日比野心労も己の信じる文章を求めて足掻いている。県北戦士アガキタイオンという作品のなかにはそんなもう一人のアガキタイオンが存在している。
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