material club Ⅱを30歳社会人が聴いて、SNS浸りな過ちを嘆く文章
新潟のご当地アイドルRYUTistの卒業活動休止、太宰治の『パンドラの匣』、30歳サラリーマンの社会人生活と転職活動、ヴィム・ヴェンダースの映画《PERFECT DAYS》や《誰のせいでもない》、SNS~Sokoni Nai Shinjitsu~に起因する悲しみとかまで言及しながら、material clubのニューアルバムの鑑賞記録を記していきます。めっちゃ長くてめっちゃエモいです。よかったら目次見て興味のある部分だけでもみてね。
①material club Ⅱ 概観
上記の題材をすべてひっくるめて言うと、material club Ⅱという音楽は「この2〜3年くらいの自分は決定的に何か様子がおかしかったかもしれない」「これまでなんてくだらないことに気を取られていたんだろう」という自覚を確定させる作品のひとつになりました。なのでmaterial club Ⅱは私にとって大変素晴らしく、かつこの2024年においても現代的意義に満ち溢れた音楽だと思いました。以下その中身になりますが、個別の表現の考察じゃなく、あくまで30歳社会人の私がこの作品を聴いて何を思ったか、最近見たもの聴いたもの読んだもの考えたことと関連付けて、ざっくばらんに記しているんだ、という前提で読んでいただけると嬉しいです。
まずはmaterial club Ⅱ、8曲入りのアルバムですが、それぞれ題材というか、小出氏が曲に込めたであろう観念は少しずつ異なります。ただそれをあえて一言でいえば、「今こそマテリアルな世界を感じようぜ」ということだと受け取りました。
前提として2018年にリリースされた1stアルバム「マテリアルクラブ」を振り返ると、このアルバムも小出氏にとっての「マテリアル」を表現したものだと思います。ただ、1stでのmaterialは「素材」としての意味が強く、私の解釈でいうと『東京ピラミッド』的な、音楽をやっていく心意気というか、こんプロラジオで南波さんがときどき言っていたように「自分はこういうふうに音楽を創るよ」を表現、宣言する、といったクリエイターならではの着想で生み出されている作品だったと思います。
一方で今作の『material club Ⅱ』は、より多くの人の生活に直結するものが題材になっています。今回のmaterialは「物質的な、実体のある」とか、転じて「生の」というような意味を強く感じました。クリエイターだろうが一般的なサラリーマンだろうが、この令和の現代人には誰しも当てはまる、人間社会のありようを示しているという点でもぶっ刺さりましたね。
②《Naigorithm》でSNSの呪いを解かないとマジで偏屈ジジイになるな、と転職決めて思った
Naigorithmの歌詞なんかは、小出祐介の歌詞が好きならツボな人が多いと思いますね。ダジャレと押韻めっちゃ良くて悔しいまであります。
テーマというか歌詞の中身の話ですが、Xなりネットニュースのコメントなりテレビのワイドショーなりで、例えば不倫のニュースにやたらキレる風潮なんやねんとか思っていたけど、いやいや、俺もバリバリその一員になっちまっているじゃねえか、と最近ほんと思いました。議題として不倫とか芸能ゴシップには興味ないものの、名指しではなくてもXで何かの文句を言ったりたとえば会社の愚痴をダラダラ書いたり、あとは自分に対して過剰に卑屈になったり、言葉選びに捻りを入れなきゃと思って不用意に無自覚に感じ悪い言葉を吐いたり、ほんとにしょうもない時間を消費してしまっていた、というのを強く痛感するに至りましたね。
ちょっとしたストレス発散くらいの気持ちで職場の嫌なことの文句をSNSに吐き出したりとかしていたものですけど、イーロン・マスク以降のXのアルゴリズムはそういう投稿をするヤツには別の人の同じような嫌な投稿をタイムラインに表示させて、それを見たこちらは偽装の共感みたいなものをしてしまい、最初の嫌な気持ちや不安や悪意が増幅してしまう、みたいなSNSの呪いがあると思います。まさに「タナトスのトス回し」な状況ですね。
さらによくよく思い返してみれば、職場で感じた嫌なことをSNSに吐き出す、この感じた嫌なこととやらもそこまで強く嫌な気持ちになる必要はないのに、普段見ているSNSによって一緒に腹を立ている風になっているところが結構ありました。完全に、SNS~Sokoni Nai Shinjitsu~に対してネットに愚痴を吐き出している状態ですね。振り返って思うと、俺別にそんなに怒ってなかったじゃん、っていう。私自身ひとつ前の記事でヴィム・ヴェンダースの映画『誰のせいでもない』についての考えを述べたんですけど、これにも似ている観念があると感じています。
仕事なんて特に何か問題があったらそれに対して嫌な気持ちになるとか腹を立てるとか怒るとかみんなで悪口を言うとかじゃなくて、本当はただただ目の前の課題を着実に特定して、淡々とその問題を愚直に一つずつクリアしていくことでしか解決なんてしないはずじゃないですか。それなのにSNSに溢れる取るに足らない「物語」に引っ張られて、解決より先に単純な不安や悪意をSNSに吐き出して気持ちよくなってるだけの社会人SNSゾンビに完全に成り下がっておりましたね。
…なんかここまでSNSのせいにしすぎなところありますけど、それでも健全な距離感で使っている人もたくさんいるはずなので、まああくまで私自身の弱さありきのことではあるんですけども。
そんなこともあってというか、まあそもそも別の仕事してみたいというのもあって、30歳になったワタクシは人生初めての転職を決めるに至りましたとさ。ここでかなり気持ちの変化があったところでして、2024年残暑くらいの転職活動終盤あたりに、ちょうど前述のようなSNSのヤバさとそれに伴う自分の気持ちの弱さを自覚し始めたところでした。あとそういえば、夏に映画やってた安部公房原作の《箱男》も2回観に行って原作も読み返したんですけど、この主人公も箱男というモンスター化してしまう前には極度のニュース依存になっていて毎日何種類もの新聞を読みあさっていた、みたいな前提がありましたね。いつの時代にも似た問題があるもんですね。
転職先も決まって少し落ち着いたとき、現職場で感じていたつもりになっていたフラストレーションを思い返してみました。もちろん実体のある確かな問題もたくさんあったけど、不要なほどに吐き出していた不満や文句がなかなか多かったことに気づいて、めちゃくちゃ恥ずかしいというか情けない思いになりましたね。そんな態度でネットに文句を吐き出す前に、具体的な課題を一つでも解決するように行動したり、ネットで当たり散らすようなことをしないで身の回りの人のことを思いやって日々を過ごすべきでしかなかったなあと。なのにXに吐き出してしまった私の悪意は、誰かの不安や悪意を増長させ、僕自身も匿名で無関係などこかの誰かが吐き出した不安や悪意を吸収してしまっていたなあと。このループは自分で断ち切らないと、俺は着実に偏屈ジジイになっていくじゃんかと思ってつらくなりましたね。
そんなこんなで、SNSなんてやめてやるぞ!と思いはしたものの、最近2つのバンドに加入しまして、これからライブやったり音源リリースするぞーと思ったり、個人でもバッチリ自作曲をレコーディングしてサブスクで公開したいなーとか思ったり、という状況でSNSを手放すのはちょっと痛手だし、なのでiPhoneのスクリーンタイムでXを1日15分に制限してみたり、Xで好きなアーティストの情報をチェックするためだけのリストを作ってそれ以外見ないようにしてみたり、そんな工夫でSNS依存を脱却すべく自分を律している今日この頃です。それに全く辞めてしまうのも、色々また違うでしょうし。
③《Altitude》やRYUTistや『パンドラの匣』のように素晴らしきマテリアルを感じていこうぜ
#8 Altitudeに泣く
SNS浸りヤバイよってだけ言われていても、若年性偏屈ジジイなりかけだった私は「そんなん知ってるわ」っていうだけだったかもしれません。ただ、Altitudeをはじめ最近色んな作品でまさに「マテリアルな」物事の美しさや素晴らしさを感じることが多くありました。だからこそバーチャルなものじゃなく、生活の中に実体としてそこにあるものへフォーカスを合わせていこうじゃないかと思えるようになりました。
まずアルバム最後のAltitude、本当に素晴らしいですね。これはもう手放しの大絶賛です。初めて聴いたときちょっと泣いちゃいましたし、聴き終わった後にデカいため息が出ました。10分超えの曲ですけど、もっと長くずっと聴いていたい音と歌詞ですね。僕の好きなヴィム・ヴェンダースが最近東京で撮った映画《PERFECT DAYS》にも通じる、そこにあるものをただそのまま描く、この美しさですよ。そこには物語も主義も思想も孤独も関係なく、芸術本来というか人間本来の愛情が感じられるなと思いました。
そしてこんプロラジオでの特集で小出氏も言ってましたけど、演奏する側もずっと奏でられてしまうくらい気持ちの良さがあるそうですね。
そんな気持ち良さもまた今回のmaterial clubのバンドという形式がもたらしたシナジーかもしれないですね。マテクラ1stアルバムのDTM形式もおもしろい表現がたくさんでてきたけど、やっぱりバンドっていいね。
新潟市古町のアイドル RYUTistに泣く
言うとりますけども。この前柴田聡子さんのライブで聴いたんですけど、これもまた素晴らしい音楽とパフォーマンスでした。柴田聡子さんめっちゃ良い、Best Alter Artistsの受賞もとても嬉しいそれでした。
さて、こんプロからの南波一海、柴田聡子ときて浮かび上がってくる共通項があります。最近私がライブに行きまくっている新潟のご当地アイドル「RYUTist」です。南波さんが主宰するレーベルに所属しているアーティストで、いくつか楽曲提供をした柴田聡子さんはRYUTistメンバーから「さとねえ」と呼ばれる公式お姉ちゃんなんですけれども、彼女たちの活動は本当に素晴らしく素敵なんです。ここから詳しく書きますけども。
新潟市古町という場所を拠点に活動しているいわゆるご当地アイドルなんですけど、東京でのライブやツアーライブもやっていて、大変な活躍をしています。メンバーは五十嵐夢羽、宇野友恵、横山実郁の3人で、まずみんなほんとにかわいいですね。私の推しはむうたんこと五十嵐夢羽ですね、スーパーかわいい、スーパー素敵。いやみんな好きなんですけど。
最初はファルセットというアルバムから楽曲だけ好きになって、当初は正直メンバー編成もよく分かっていない感じでした。作家陣に北川勝利、沖井礼二、弓木英梨乃、そして柴田聡子と、私としては興味を持たざるを得ない体制で、実際聴いたらそれまでのアルバムもめちゃくちゃ良い!ってなったという経緯があります。
ファルセットのリリースがコロナ直後くらいで、しかも拠点が新潟で、あと正直これまでアイドルの現場って勝手に苦手意識を持っていて、ライブに行くとかは全くなかったんです。ただそれより少し前に一度だけアイドルの現場に行ったことはあって、そこでもただただスゴイ!かわいい!カッコイイ!みたいな経験がありました。今思えば正直そのときはまだ現場のオタク苦手だなとか思ったりもして、音楽インテリぶってスカしてる部分はかなりあったけども、でも確かにその感動はあったと思います。なのでちょっと自ら思い立って2024年7月に新潟で開催された13周年ライブに行ってみたら、それはそれはもう全パフォーマンスに圧倒されました。その後ファンクラブにも入って、今や自信をもってRYUTistのファンですね。
彼女たちの魅力は本当に屈折なく芯からまっすぐな感じで、何なら作家陣以上に作品や細かい表現に向き合っていて、その熱量に支えられた作品やパフォーマンスはどれも大変に素晴らしいです。観に行ったライブでも何度泣いてしまったことか。まだRYUTistのライブ歴はめちゃくちゃ浅い私ですけれども。
さて話を戻すと、私はそんなRYUTistを見ていて、Altitudeに通ずる屈折のない素のままのリアルの素晴らしさを感じたわけです。それとともに、それまで勝手にアイドル現場に苦手意識を持ってくだらない偏見に気を取られていたり、作家陣みて興味持つのは良いけど変な音楽インテリゲンチャを気取って何かを見下したり、SNSの呪いにも似たマジでしょうもない考えにとらわれていた自分が、これまためちゃくちゃ情けなくなりました。
いやでもそんな自戒はありつつ、RYUTistの姿を見ていると、こういうものを素敵だと思える機会や感性を持ち続けたいなと思うばかりです。もちろん30歳のこの期に及んで急にスーパーポジティブ人間になるんだなんてつもりはないけれども、何かに偏見を持つとかましてや何かを見下すとか、そんなことを思う暇があったらこのRYUTistのような素晴らしきマテリアルに少しでもたくさん触れていたいものです。
残念なことに、RYUTistの3人は次の12月で卒業・活動休止をしてしまいます。やっと私のくだらないメンタリティから脱却して作品やライブを楽しみたいと思っていたところなんですが、世の中とはそういうところがありますね。でもそれもまた「すげえリアルなマテリアル」ってことですか。残り期間は短いけれども、ギリギリ活動休止前にRYUTistに会うことができて本当に良かったですね。RYUTistありがとうすぎる。
この文章を書いているのが11/12の夜なんですが、明日11/13は大阪でのツアー公演を見に行きます。朝早くに成田から安いLCCに乗るため、午前3時くらいにバイクで家を出なければいけないのに、まだ何も準備せずエモにまかせて文字を打ち続けています。まあいいんです。明日のライブも楽しみだ。
太宰治『パンドラの匣』に泣く
RYUTistのメンバー、ともちぃこと宇野友恵さんは読書家なんですけれども、新潟にある北書店という歴史ある本屋さんと、RYUTistやともちぃは深い繋がりがあります。RYUTistがパーソナリティを務めていた新潟のラジオ番組にも、北書店の佐藤店長という方が何度かゲスト出演されていました。その佐藤店長が、太宰治の『パンドラの匣』という作品をおすすめしていました。太宰治は『人間失格』とか『斜陽』とかは読んだことあったんですが、『パンドラの匣』は読んだことがなかったので早速読んでみました。これがつい最近で、10月くらいだったか。
読んでみるとこれがまた太宰治のイメージらしからぬ、大変に優しく愛情深く温かい作品で、一度読み終わってからもう一周読み直してしまうくらい素敵でした。
「健康道場」という名の結核療養所で生活する主人公の青年「ひばり」がそこで出会う同じ結核患者たちや看護師たちとのふれあいの中で感じたことを、ひばりから友人にあてた手紙の形式で記された小説です。
私が特に感動した部分が、「コスモス」という題の手紙の4。道場内の催し物として俳句の発表会が行われたというエピソード。主人公「ひばり」は、同室の「かっぽれ」が出した俳句は看護師の「マア坊」の考えた俳句の盗作なんじゃないか、と疑惑を抱いて憤りを覚えるのだが実際は…、というところ。青空文庫にもあるので、ガッツリ引用します。
これなんですよ。私がRYUTistのライブに行く前のような、作家名で作品を見たり聴いたりするような音楽インテリぶることのくだらなさと、それを克服したときに感じるこの温かみですよ。もちろんその作者の経歴、取り巻く環境、系譜、影響関係、そういったものを知識や論考の材料として用いるのは間違いなく面白いことだけれども、これまた他人との比較や何かを見下すために用いたりするのは大変しょうもないですね。いやもちろん最初から見下したりマウントを取るつもりでそうなっていたわけではないけど、これまたSNSの呪いと私の屈折したメンタリティが掛け合わされて、つまんない状況を作っていましたね。ただそこにある「マテリアル」を感じたときに気づく楽しさや面白みや愛情とかの前には、なんとまあ矮小なんでしょうか、と思っちゃいました。
RYUTistの活動って、まさにこのかっぽれたちのような、本当にまっすぐな温かみがあります。ということで、『パンドラの匣』そしてRYUTistの活動、material club Ⅱと合わせてオススメです。
④まとめ
もうさすがに文字打つの疲れたかもですね。エモにまかせて文字を書き続けて、もう7800字を超えたところです。今回はmaterial club Ⅱの鑑賞をきっかけに、そのほかマテリアルを感じた、最近見たものや聴いたものについていろいろ書いてみました。まさかとは思いますが、ここまですべて読んだよという人がいたら深く感謝です。明日のライブ楽しんできます。