パイズリの歴史と起源、ポンパドゥール夫人説からペルーの異端審問まで

メロスは激怒した。必ず、かのダスナラコッチを除かなければならぬと決意した。メロスにはセックスがわからぬ。メロスは、村のズリキチである。パイズリの絵を見てはオナニーをし、挟射する事に大枚を叩いて遊んで暮して来た。けれどもダスナラコッチに対しては、人一倍に敏感であった。

※ダスナラコッチ
パイズリをしていてそのまま射精せずに本番行為に移行する事。
特にズリキチはパイズリを前戯扱いされるのを好まない。

※パイズリ
女性の乳房で男性器を刺激して性的興奮を促す行為
ズリキチはいかにしておっぱいに射精するかこだわる。

ズリキチからしてみればダスナラコッチは眼鏡っ娘の眼鏡を奪うがごとき罪深い行為である。

パイズリの起源

おっぱいの大きさに限らずパイズリをしようと考えるのは今も昔も変わらない。人類の進化の過程(胸部の肥大化)を見れば有史以前から行われてきたのかもしれない。パイズリが人類史においていつ頃から行われていたのか正確な記録は存在しない。よくパイズリを発明したのはポンパドゥール夫人で彼女が世界で初めてパイズリをしたとまことしやかに言われるがこれは俗説である。実際にはその少し前、1711年に死亡したルイ14世の王太子が「公証人のネクタイ」を大いに愛好していたことが知られている。

※公証人のネクタイ(Cravate de notaire)
フランス語におけるパイズリの隠語
一説では胸の間に精液が垂れた様子がネクタイのように見える事から

ポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour)1721ー1764
ブルボン朝第4代のフランス国王ルイ15世の愛人として有名

https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/learn-about-art/paintings-in-depth/the-real-madame-de-pompadour


1690年妻のマリー=アンヌ・ド・パヴィエールが死ぬと、王太子はすぐにある女優に夢中になった。この女優フランソワーズ・ピテル・ド・ロンシャン(1669ー1721)は、レザン夫人として歴史にその名を残している。俳優ジャン=バティスト・レザンと結婚していたからなのだが、「小モリエール」の異名をとるレザンは、自分の劇団が一時王太子の公式劇団になることを了解するという間違いを犯した。王室厩舎の管理人で有名な曲馬師のボワジョルダンによると、レザン夫人の大きな乳房が最後の仕上げをしたということだ……。「太った美しい女だった。たっぷりとした乳房に非常に肉づきのよい尻で、その色気が王太子様はこのほかお気に入りに召されたようだ。〈中略〉王太子様のお気に入りのやり方は、女の気配りある技巧によって、生殖の喜びの代わりにレザン夫人のすばらしい乳房でもっと刺激的なことをしてもらうことだった……」

図説 乳房全書 マルタン モネスティエ (著), 大塚 宏子 (翻訳) 128頁より引用


フランソワーズ・ピテル・ド・ロンシャン(Françoise Pitel de Longchamp)1662-1721
1701年に劇場を引退してルイ王太子の愛人となり、3人の娘が生まれた
1711年に王太子が亡くなると、彼女は年金で悠々自適の生活を送った

http://favoritesroyales.canalblog.com/archives/2012/10/06/25266330.html

その後の革命や総裁政府時代、「公証人のネクタイ」は公に料金設定されるものにさえなっていた。この時期、パレ・ロワイヤル周辺の娼婦は名前、料金、得意技をいくつもの「お楽しみガイド」に載せていたが、その中でこの技巧は「大きな乳房による情事」と名づけられていた。

同書 128頁より引用

フランス語ではパイズリに相当する単語が何種類か存在する。
・シネマピスティ(Cinépimastie)
・マゾファラション(Mazophallation)
・公証人のネクタイ(Cravate de notaire)
・スペイン式愛撫(Branlette espagnole)

引用した同書によれば15世紀の文書にはすでにパイズリの記録があるとされている。15世紀の王侯詩人シャルルオルレアンは作品の中で「私は乳房の間にそれをそっと入れた。それが欲することを私にさせるために」と記している。

シャルル・ドルレアン(Charles D’Orléans) 1394-1465

https://www.poetryintranslation.com/PITBR/French/OrleansPoems.php

※私は乳房の間にそれをそっと入れた。それが欲することを私にさせるために 
現在このフランス語の原文を目下調査中である。

無声映画に見るパイズリ

無声映画時代に作られたポルノ映画ブルーフィルム 青の時代 (Polissons et galipettes)では作品群のおっぱいのソーセージ(saucisse en nichions)で約100年前のパイズリしている映像を確認できる。

16世紀ペルーでは

ところ変わって16世紀ペルーの都市リマでは商人を通じて「パイズリ」が浸透していたとされる。

そうは言っても大都市リマには、金や悪癖、異なる風習を携えた外国人が世界じゅうからやってくる。いくら教会が抑圧してところで、ハバナの商人が広めた忌まわしき「葉巻」や、ヌエバ・エスパーニャ副王領の銀山主たちが持ち込んだ悪名高き「69」はすでに浸透していた。教会は神聖かもしれないが、組織を形成する人間までもが健全だとは限らない。

ペルーの異端審問 フェルナンド イワサキ (著) 40頁より引用

※葉巻
当時のペルーリマにおけるパイズリの隠語

同書では当時聖職者として神に仕える者の情欲を垣間見る事ができる。
密室である告解所を利用した邪な行為はこの当時からポピュラーな行為だった事が伺える。

ホアン・グティエレス・デ・ベナビデの妻、ヘロニマ・デ・オロスコ夫人(27)は証言する。彼女がみずからの罪を告白していたところ、贖罪司祭が思わせぶりな態度で訊いてきた。好意を抱いている贖罪師はいるのかと。女がある神父に好感を抱いていると答えると、意中の相手は誰かと質された。さほどの悪意は感じられないものの、執拗に尋ねてやまない。もしかするとそれは自分のことではないのか。だとすれば光栄だ。なぜなら、自分はあなたのことを愛しているからだと。それから彼女に対し、ミサに出ても彼以外の聖職者からは聖体拝領を受けぬようにと求めたので、彼女も同意した。告解室で命じるがまま衣服を脱いだ夫人に、再び神父は意中の相手は誰かと質した。女が半ばからかう口調であなただと告げると、男は非常に喜び、幾度も愛の言葉をささやいた。ある晩、病に伏した女のもとに出向いた神父は、二人きりだったことから肉欲に駆られ、性行為に及ぶが、決定的な性交には至らず射精した。のちに女は神父への告解っを拒むようになったが、神父からは何度となく他の聖職者へ告解せぬよう説得され、またもや従った。それから……。

ペルーの異端審問 フェルナンド イワサキ (著) 40頁より引用

これは仮説であるが一方で禁欲が保たれ、一方では純潔が守られるパイズリは都合が良かったのかもしれない 。

「告解所の王はセックス陛下だ……。格子を通じてセックスが支配している……」

図説 乳房全書 マルタン モネスティエ (著), 大塚 宏子 (翻訳) 133頁より引用

今日に至りようやくパイズリは日の目を見たように思えるが歴史を辿ると古くから行われていたようである。

「ズリキチ諸君、あの乳房の頂から4000年の歴史が君たちを見下ろしているぞ」


ズリキチに栄光あれ


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