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週刊日記:わんだふるぷりきゅあ!

◆わんだふるぷりきゅあ!
『わんだふるぷりきゅあ!』が最終回を迎えた。
50話のアニメは2〜3日もあれば一気観できますが、やはり1年間追い続けると別れの寂しさは強烈だ。泣いてしまうことを分かっていながら観る映像は胸が苦しくなる。
とりわけ、僕はこむぎ(キュアワンダフル)というキャラクターに注目していた。本来の姿はいろはのペットです。パピヨンという犬種で、明るく元気いっぱいな性格なのだそう。単なる「元気っ子」であればごく平凡なものですが、こむぎの主人公然とした活気あるキャラクターが動物由来のものであると考えると、その純粋さや屈託のなさが愛おしくてたまらない。
1年間とてもわんだふるな気持ちになったよ。ありがとう、キュアワンダフル。ありがとうわんぷり。

◆視力
視力が良いといえばマサイ族。そんなイメージを持っている人は多いのではないか。なかには視力10.0を超える人もいるとかいないとか。
このびっくり話を初めて聞いた時、幼少期の僕は「めっちゃ遠くの物が見えるってことでしょ?じゃあ近くにある物はめちゃくちゃ近くに見えない?」と、自分で書いておきながらよく分からないことを考えていた。望遠鏡みたいな理屈だと思ってる?「視力が良い」というのは、そういうことではないんですけどね。

◆世紀
本格的に歴史について記述した文章ではなくとも、過去の人物や事例に言及する際には「◯世紀」という表現を使うことがある。西暦1年〜100年の間を1世紀とし、現在2025年は21世紀だ。
誰もが通る道だと信じたいのですが、これ、混乱しませんか?恥を忍んで言います。たとえば「17世紀」という表記を見た時、僕は未だに「17世紀…えっと、直感的には1700年代だけど、数字を1マイナスして…1600年代か」といった具合に、変換するための一瞬の隙が生まれる。「17世紀」と言われて、僕が何も考えずに1601年〜1700年だと判断できるようになるのは何世紀先なのだろう。

2025年1月第四週。
お疲れさまでした。ではまた来週。

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