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週刊日記:生きるか死ぬかはファミマ次第

◆冬を越す
今冬もいよいよ雪が降りまして、日夜問わず厳しい寒さです。北陸は湿気が多いため、じめっとした空気が身体に貼り付いてくるようで、寒いというより冷たいという体感だ。

今でこそ高断熱高密室の住宅によって冬でも快適なステイホームを実現できていますが、本来、人間にとって越冬とは死活問題だったのだ。春の訪れを待たずして亡くなった者がどれほどいたか。一冬越せるだけの食糧を備蓄できなければ死、寒さを凌げる環境がなくても死、運悪く雪崩に飲まれても死。僕たちの遺伝子には、「冬=死と隣り合わせ」の等式が刻み込まれている。だから、冬に対して何となく暗いイメージを持ったり、寒さに恐れを抱くのはごく自然なこと。

僕はいま自室でぬくぬくポカポカと過ごしていますが、一度 Go ドア開けたら スノウ、あっという間に極寒の風に曝される。意図せずとも反射で体が震えだす。そして、全身で感じる「寒い!!」の中に、ほんの数%だけ「怖い」が混じっていることを確認し噛み締める。この恐怖をもって生を実感できるんだ。

幸せの訪れを表す比喩として「春が来た」という表現がある。けれど、多くの現代人は冬を越すことに特別な労力を要さず、待っているだけでも勝手に春が来る。もはや「春が来た」という言葉そのものは形骸化しており、意味だけが一人歩きしている。悲しいよ、そんなのは。

冬の寒さに恐れ慄け!それでこそ生きた心地がするというもの!自分にそう言い聞かせ、外へ繰り出した。ファミマへ向かったのだ。実はこのファミマ、僕が昨年9月にフラッペをぶちまけてしまった事故現場でもある。

バツが悪くめっきり訪れていなかったが、積雪もあるため遠くの店舗には行きたくない。背に腹はかえられず数ヶ月ぶりの訪店だ。しかし、何の因果かわかりませんが、同じようなことは続くのですね。店に入って早々、雪で濡れた床を上手く歩けず見事にすっ転んでしまった。床に這いつくばる僕を、店員も他の客も見て見ぬふり。ぐぐ……惨めだ。今年は冬を越せないかもしれない。

◆吉凶
「辻占(つじうら)」という、お正月に食べるお菓子がある。実家では元日に必ず用意されるのですが、僕は年末年始を感じさせるモノを周囲から徹底排除していたため、今年はすっかりその存在を忘れていた。

せっかくなので食べておきましょう。今更ですけど。
砂糖と餅粉を混ぜてつくられた、クニクニと独特な食感のお菓子。この中におみくじが入っているのです。どれ。新年早々に仕事を辞めた僕の運勢やいかに。

「なんが のがれる」
漢字を充てると、おそらく「難が逃れる」でしょう。これはなかなか良いんじゃないか?それに、この内容は僕の性に合っている。「願いが叶う」みたいなポジティブど真ん中な表現よりも、「難が逃れる」の方が良い。輝かしい未来に向けて希望を叶えてほしいというより、今この現実の苦しみから解放されたいのだから。自分好みのテキストを引けたというだけでも、幸先は悪くないのかもしれない。

2025年1月第二週。
お疲れさまでした。また来週。

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