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第14話 「一人旅、エアーズロックへ」

ICEでは12週間毎にタームが区切られ、次のタームの前に1週間のスクールホリデイが与えられる。留学生活が始まり、最初のスクールホリデイが6月末にやって来た。カツヒロは思い切って一人旅に出かける事にした。

行き先は、前から決めていたエアーズロック。

・・・。

国内旅行はこれが2回目で、最初の旅行は高速バスでシドニーまで出かけた。金曜日の夜にメルボルンのスペンサー・ストリート駅( Spencer Street station)を出発し、ちょうど12時間かけて、シドニーのセントラル駅まで移動だ。幸い行きも帰りも隣の席が空いていたから、その分スペースを広く使えた。車内では映画もやっていて、少し前に流行った「ゴースト・ニューヨークの幻」が放映された。

シドニー

スペンサー・ストリート駅は、カツヒロ達にとって、別れの場所だった。この場所で多くの仲間を見送った。カツヒロが一方的に片思いを寄せていたマヤは仕事を探すため、2か月前にここからシドニーへ旅立った。同じようにカズも職を求めてブリスベンへ。ワーキングホリデイ組は1-2か月で語学学校を辞めると仕事を探す。

メルボルンはオーストラリアで2番目に大きい都市だが、日本人向けの仕事はそんなに多くない。日本食レストランやお土産屋さん、ツアーガイドが最も得やすい仕事だが、それは東側のシドニーやブリスベン、ケアンズの方が需要が大きいようだった。

カツヒロがシドニーを訪問した理由は2つあり。1つ目はマヤや他のICEで仲良くなった日本人友達を訪問するため、もう一つは少年ジャンプが読めるレストラン「はら時計」に行くためだ。

カツヒロが日本を離れて2か月半が過ぎていたが、その間、日本のTV番組やお風呂が利用出来ない事の辛さより、一番、辛かったのは週間少年ジャンプの続きが読めなかった事。

1991年と言えばドラゴンボールが最も人気があった頃で、主人公の悟空がフリーザーとの戦いでスーパーサイヤ人に覚醒する直前だったから、カツヒロはその続きがどうなったのか?この3か月間ずっと気になっていた。

だからこそ、往復24時間余りの長距離バスで現地1泊の弾丸ツアーをしてまで少年ジャンプを求めた。カツヒロはその時、少年ジャンプを翻訳して海外で販売すれば、絶対売れるのにと思っていた。

特にドラゴンボールは絶対に人気が出るはずだと思っていたが、数年後、本当にドラゴンボールは世界中で大人気アニメに成長していた。

スーパーサイヤ人

※この画像は台湾版のドラゴンボール

エアーズロックは、オーストラリアの中央より少し西側にある世界最大級の一枚岩。メルボルンからエアーズロックへ行く場合は近くのアリス・スプリングスと言う都市までフライトする必要がある。このアリス・スプリングスまでは約1,800kmほど離れていて、フライトタイムは2時間30分。

同じオーストラリア国内だが時差が存在する。目指すエアーズロックはアリス・スプリングスから更に450km離れていて、バスで片道5時間かかる。

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カツヒロはエアーズロックのあるウルルリゾートに2泊、アリス・スプリングスに2泊する4泊5日の行程を組んだ。1日目は、移動日。朝、メルボルン空港を出発、午前中にアリス・スプリングに着き、バスに乗り換えウルルリゾートへ移動。夕方、ホテルにチェックインできた。

明日は早朝にホテルを出発し、エアーズロックのサンライズを見た後、登山をする。(現在は出来ません)ホテル発のツアーで、バナナとサンドイッチのお弁当付き。出発は午前6時だからフロントにwake-up call(モーニングコール)をお願いして早めに床についた。

翌朝、ホテルのロビーでツアーバースの迎えを待っていると、日本人のハネムーンカップル2組も一緒だった。当時、オーストラリアは新婚旅行の旅先に人気が出始めていた頃だった。きっかけは1987年に歌手の郷ひろみが二谷友里恵さんと結婚して、そのハネムーンでオーストラリアを選んだからだ。

迎えのマイクロバスで揺られる事、約30分。ついにエアーズロックに到着した。

エアーズロック

「ヤッター、ついたぞ!!」皆、大喜びだった。

夜明け前の薄暗い景色が、やがて太陽によって明るく照らされてゆく。エアーズロックが神秘的に色の変化させ、だんだん赤茶色の肌がはっきりと確認出来て来た。

「それでは、皆さん、これから3時間半フリータイムです。登山する方は自由にどうぞ。」とガイド兼ドライバーの男が言った。

「最初、かなり鋭角な斜面を登るので、滑り落ちない様に手すりにつかまって下さい。」「あと、だんだん熱くなるから、のどが渇くので」とペットボトルのミネラルウオーターが配られた。

エアーズロック登山

体力に自信があった、カツヒロは周りの人間が息を切らしながらやっとで頂上を目指している中、休むことなく約40分で頂上まで登り切った。エアーズロックの山頂まで、普通の人は往復2-3時間かかる。前半の3分の1の行程は最大斜度46度で、登山路には杭を打って鎖が張られている。過去には転落死亡事故も発生していた。

頂上には他山者用の記帳ノートがあり、そこに日付と名前を書き込んだ。

1991年6月30日 武藤勝弘

頂上からは同じアボリジニの聖地の1つマント・オルガも見える。アボリジニとはオーストラリアの原住民の事。360℃広がる、オーストラリア大陸の美しさを眺めながら

「うわー、本当にキレイだなー。」

日本で「世界の中心で愛をさけぶ」が大ベストセラーになり、その舞台としてエアーズロックが注目されるようになったのは、それから12年後、2003年だが、その時カツヒロも、愛の言葉を叫びたくなるような思いだった。

※Youtubeから引用させて頂きました。

エアーズロックはカツヒロが初めて訪れた世界遺産(海外で)となった。


つづく。


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