挑戦
こんにちは。
みなさん元気にしてますか?
僕はシンガポールに来て毎日が刺激的でとても充実した時間を過ごしています。
今回、シンガポールに来たこともありそれらの体験を文章に残しておきたいと思ってこのタイミングでnoteを始めることにしました。
今回は移籍理由について話します。
文章にするのが得意ではないので、ゆる〜く読んでくれたら嬉しいです笑
なぜシンガポールに移籍したのか?
移籍理由は2つ。
1つ目は新しい環境に挑戦する。
2つ目は自分をバカにしてきた奴らを見返す。
この2つが理由です。
・新しい環境に挑戦する
正直、シンガポールのオファーを受けた時あまり前向きに考えることができなかった。
自分の中でJリーグで活躍してもないし英語も喋れないのに海外でやっていけるのか?という不安があったからだ。
今は過去の自分にそんなことで悩んでんじゃねーよって言いたくなる笑
今思えば、今の僕の人生はことあるごとに環境を変えている。
1回目は青森山田中学入学
2回目は順天堂大学入学
3回目はJ2水戸ホーリーホック加入
4回目はJ3FC岐阜加入
この4回の環境変化にはどれも素晴らしい経験ができたと思っているし、反対にクソみたいな経験も多くしてきた。今思うとあの時その判断をしていなかったらどちらの経験もすることができなかったと思うとその判断をして正解だったと本気で思っている。
よく、なんで青森山田に行こうと思ったんですか?と聞かれる。
当時はサッカーが好きで強いところに行きたかったという思いで選択したが、歳を重ねて僕の中の選択基準がある程度完成しつつあることがわかってきた。
選択基準は新しい環境に身を置いて、もっと多くのことを吸収したいから。自分はもっと成長できると思っているから。成長できると思う方を選べ。
気づいたらこの考えをベースに物事を判断していることがわかった。
特に水戸から岐阜に移籍したのはサッカー選手としてだけでなくサッカー選手を引退した後のこともしっかり考えるべきだと思っていた。
今までサッカーに夢中になりその先のことはその時考えればいいと思っていた。
しかし、誰もが歳ギリギリまでプレーできるわけじゃない。翌年には選手としてプレーできてないかもしれない。
スポーツの世界は素晴らしいと思うことも凄くあるが、残酷なことも凄く多い。
選手として結果を出せてなかったこともあり、それなら新たな環境で生活して新しい気付きを得れる方がいいと僕は思って岐阜に移籍した。
シンガポールからオファーを受け、冷静に考えたらこのオファーはビッグチャンスでしかない。断る理由が見つからなかった。
岐阜を退団になった時、多くのサポーターの方が「次のチームにも応援行くからね」と言ってくれた。
その方達には近くで元気な姿を見せられないことは本当に申し訳ないと思ったが、僕がどこの国に行こうが全力応援してくれてると思っている!!(皆さんとても優しいお方ですし😊)
だからこのチャンスを無駄にしたくないと思って移籍を決めた。
・自分をバカにしてきた奴らを見返す
バカにする人なんているの?と思いますよね笑
それがいるんですよね!
サッカーを初めて20年今まで数えきれないほど沢山バカにされてきました。
僕の性格上それを笑いに変えて場を盛り上げていましたけどね。
時には肌の色や名前、サッカーやめろなど全部出すとキリがないのでこの辺にしておきますが笑
あ、今まで1番癇に障ったのは
「お前にはなにやっても無理だよ」です。
その人は冗談で言ったのか本気で言ったのかはわからない。
だけどなんでお前にそんなこと言われなくちゃいけねんだよって思った。
その時に強く決めたことが、今までバカにしてきた奴らを見返してやろうです。
今思うとあの時あの言葉を貰ってなかったら自分に火がついてなかったかもしれない。
当時は腹立たしかったけど、今はありがとうと言いたい!
長々と話しましたが僕が移籍した理由はこの2つが大半を占めてます。
この話で伝えたいことは何事にも挑戦あるのみってことです!
挑戦してそれが失敗に終わったとしてもそれは失敗ではなくて次に活かせる経験だと僕は思います。
だから勇気を持って挑戦していきましょう!
僕も挑戦をやめる気はないです。
これからも前進して行きます👍🏾
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