有休中に読んだ本①
会社で長めの有休を取ったので、読書の秋を実践中です。せっかくなので実務から少し離れた本も読んでいます。
◼️社会科学の哲学入門(吉田敬、勁草書房)
「科学の科学たる条件は何か」を解き明かそうとする学問、科学哲学の本。自然科学を対象とした論考はよく見かけるんだけど、社会科学を対象にしたのは珍しいので買っちゃいました。
社会科学って幅がすごく広くて、中でもいろんな論争があるので、十ぱ一絡げにはできないけど、科学性にあまり自信がない社会学専攻だった手前、すごく共感して読めました。
例えば、「社会科学の対象である社会って存在するのか?」という問には、その問には、①そもそも社会は存在するのかという存在論的な問と、②社会はどのような方法で探求・説明されあるのかという問の2つが混在しているので、区別することから始めようと提案します。その上で、「制度論的個人主義」にもとづき、①人の意識や行動を制約する与件という意味で社会が存在すること、②ただしそれを研究するのは個人の行動や意識からしかできない、という立場を表明します。この整理の仕方はなるほどと思いました。
①(=人の意識や行動を制約する前提としての社会)についてはより具体的には、「社会=制度、慣習」という社会学的な見方と、ゲーム理論的な均衡解の2つがあります。「均衡解」を日常用語にすると、「なんとなく皆が楽になる落とし所」という感じでしょうか。つまり、慣習を変えようとするときは、「慣習の存在を自覚して意識を変えよ」と迫る方法と、慣習の存在がかえってデメリットになるような働きかけをする方法の2つがあるということです。そういうのは世の中にたくさんありそうです。普段意識していないので、発見でした。
また、「社会科学は人の意識を対象とする場合があり、自然科学とは異なる独自の方法論が必要ではないか?」という問に対しては、意識・主観ばかりに着目しても問題解決に資するとは限らないので、意識をカッコに入れ深入りしすぎずに分析することを提唱しています。
著者は状況分析というカール・ポパーの手法を紹介していましたが、イマイチその切れ味は感じられませんでした。元社会学徒としては、思わず「げ、現象学的社会学…」と言いたくなりました。いずれせよここは、ある種道具主義的に、「説明できるからよい」「役に立つからよい」という割り切りを多少したほうが良いのでしょうね。
ちなみに、ここで著者が念頭に置いているのは、個々の主体の行動が積み重なり、社会全体として意図せざる結果が生じるというような事例を説明したい場合です。この手の事象の説明は社会科学で重要テーマであり、経済学では合成の誤謬(例 皆が節制に励むと不況になる)、社会学だと資本主義の誕生(プロテスタントを実践したら、回り回って資本主義が生まれた)などがあります。実務的にも、この点は反省大です。つまり、悪い現象は、実は皆の善意や努力の結果である可能性があるということです。悪い現象が起きたとき、悪者がいると即断せず、まずプロセスを追いかけよ、と感じました。
他にも、学部生のときよく見たいろんな論点があり、例えば文化相対主義を、安直にみんな違ってそれでいいとはせず、「より合理的(反省的とも言い換えられるかも)な態度で考えるのがよい」というロジックでなんとか整理しています。
日常生活、いつまでも考え続けるわけにはいかないです。が、価値観系の答えがない議論を扱う人には、自己言及的な態度も必要と再確認しました。
目新しさを感じたのは、昨今の進化生物学とかを踏まえた、「社会科学はルールの中身だけでなく、ルールの由来や消滅の理由を(適者生存的なロジックがあるはずなので)説明すべきではないか?」という論点でしょうか。残念ながら、消化不良なので語ることがまだできないのですが…。
◼️はかりすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか(みすず書房、ジェリー・Z・ミュラー)
データサイエンス全盛期の今において、少し保守的な立場から警鐘を鳴らす本です。曰く、
・定量的な効果測定と処遇を結びつけると、指標を良くすることばかりが自己目的化され、組織全体としての目標達成に支障が出る。また、ハックするやつも出る。
・定量指標を作る際、測定すべきものでなく、測定しやすいものにしがちなので気をつけろ!
・定量的な効果測定は一時的の問題解決に役立つかもしれないが、ずっと継続するとその測定コストもバカにできない。いわゆるレポートのためのレポートばかり現場に作らせる
・定量的な指標が持て囃されるのは、プロ経営者がその業界を知らなくても会社を経営するため。経営者は社内で育てよ。また数値化をいちいちせずとも済むように、専門知識を磨け。
・定量的な測定が効果を持つ場合もある。現場の納得感ある指標で設定され、現場の仕事をより良くするために活用(学習・振り返り)される場合、非常に良い。トップ都合でつくられた評価指標はダメ。
・ちなみに、定量指標とよく並列される「透明性」にも気をつけろ。世の中には、あえてグレーにしておくから良い分野もある。カップルの心のうち(!)とか、国家の諜報、政策的な議論の情報収集・意思決定は、その例。この手の分野を透明にすると、率直な議論ができなくなっておかしくなったり、いろんな危険が生まれる。透明性を尊ぶ価値観はいつでも正しいものではなく、価値観の一つでしかない。ネット系・テック系と整合的という生まれながらの条件がある。民主主義の世といえど、見えない隠微な活動の積み重ねの上に成り立っていることを忘れるな
という感じで、楽しく読めました。言っていることはその通りと思います。
ただ、「戦略と整合的に設定せよ」というKPI設計の原則論を押さえていれば、大半は回避可能な気がします。「なんでも数値化すれば、正しく組織を運営できるはず。数値が全てで概念化など知らん」という素朴すぎる態度を戒める本と言えます。
一方で、この手の定量化の議論の背景になった、「官僚組織や専門家がある種の内向き体質になりがち」という問題意識にも、もうちょっと応えてくれても良いのかなと思います。
余談 マクナマラ長官について(リーダーがもつべき専門性?)
ちなみに、この本でも取り上げられるベトナム戦争時のマクナマラ国防省長官の話、酷すぎて「ホンマかいな?」と思っちゃいます。
例えば、米軍のKPIを敵の戦死者数にしたとか、砲弾の消費数にしたとか。。戦死者数基準で見たら第二次世界大戦の勝者は枢軸側だし、砲弾の消費数をKPIにしたら、戦闘の帰趨関係なく米軍は北ベトナム軍より有利に決まってるだろ。まあ、軍事の専門知識を持たず、軍事の本筋から外したところにこだわるリーダーということなんでしょうね。
実務的には、ドメイン知識の大事さ、アドホック分析と継続的分析を峻別することの大事さ、を痛感させられました。
データ分析をしていて、「何のデータを当たればいいかわかりません」みたいな話になると、「データ集めるありきでなく、まず仮説を立てよ。それで必要なデータを限定したうえで、仮説に必要なデータだけを集めよ」とよく言われます。つまり、何でもデータに答えを求めるのでなく、まず専門家になれということだと感じます。