わからないようにミスリードされている


最近他人の行動に対してイチャモンつける人が多いですね。
「不謹慎狩り」という言葉も生まれました。
いがみ合わせたり対立させたりすることが目的なので、そういった情報にも振り回されないようにすることです。

そんなつまらないことに心を奪われている時間は、無駄以外の何ものでもありません。
他人の言動を気にすることより、まず自分自信が心穏やかに生きていくことが大切です。
メディアも人の神経を逆撫でするような書き方をしますし、それに乗せられて反論しても何の意味もないので、挑発されても乗らないことです。
それが自分を守ることになりますから。


地元の藤沢でMuuとうサロンを経営されている方のブログ
からの転載です。
とてもわかりやすいので参考に。



「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

とても上手にミスリードされているのです。

小さなこと、枝葉末節にばかり目を向けられ、そしてそのことで意見を戦わせ、分裂させる・・

それが目的なのです。

枝葉末節の小さなことでお互いがいがみ合っていてくれれば、あなた達を支配している人たちへ関心が行かないから、いくらでも好きに出来るからです。

だから、意図的にテレビなどを使ってミスリードしているのです。

少人数で大人数をコントロールしようとすれば、お互いをいがみ合わせ、お互いが監視しあうようにリードすればいいのです。

ピラミッドの上の人たちの存在に気がつかないように、ピラミッドのすそ野にいる庶民と呼ばれる人たちを分裂させるのが一番なのです。

いま起きている論争は、自然発生したものではありません。

上手に先頭に立ち、煽っている人がいるのです。

こちらが正しい、いやこちらの意見が常識的なのだ・・道徳的にはこう考えるのが当然だ・・

といろんな意見を述べる人がいて、それを見ている人たちは自分の意見はどれだろうと考えます。

そこには、決められた選択肢しかないことを、見ている人は気がつかないのです。

教育で、選択問題ばかりやらされてきた人たちは、選択肢を提示されるとそこにしか正解はない・・と思い込んでしまいます。

だから、その選択肢の中で言い争うことになるのです。

そして、わざと答えは出さないのです。

答えがないことで、いつまでもその論争が続くからです。

それは思考停止状態だということです。

人々を思考停止にしておけば、彼らは何でも好きにすることが出来るのです。

ちょっとした論争のタネを撒けば、常識、道徳、倫理観、正義というカテゴリーの中で言い争ってくれる・・その間になんでも出来るからです。

枝葉末節ばかり見ないでください。

枝葉末節ばかりに目が行くと、大切なことが分からなくなります。

大切なことは、自分がどうしたいか・・ということです。

どれが正解か・・ということではなく、自分はどうしたいかということです。

あなたの中に正解があります。

あなたにとって楽しいと思えることが、あなたにとっての正解なのです。

誰かに提示された選択肢から選ぼうとしないでください。

あなたの中に自分の選択肢を持ってください。

そして、あなたの中の選択肢の中で一番気持ちがいい、楽しいと思えるものを選択してください。

あなたに○×をつける教師はいません。

そんな権利を持っている人はどこにもいないのです。

あなたに正解を教えることが出来る人などいないのです。

あなたに正解をもたらすことが出来るのは、あなただけなのです。

だから、誰かに提示された選択肢を巡って言い争うことは、とてもナンセンスなことなのです。

誰かがこう思う・・といったとき、それはその人の意見だということだけです。

それについて、良い悪い、正しい間違っているなど判断する必要はないのです。

そうですか・・あなたはそう思うのですね。

それだけでいいのです。

そして、同じような意見であっても違った意見であっても、あなたが思うことがあなたの意見であり、あなたの正解なのです。

話が逸れてしまいましたが・・

私が言いたいのは、小さなことに目を奪われないように気をつけてくださいということです。

小さなことに目を向けさせ、大切なことに気がつかないように巧妙なミスリードが意図的に行われているということをお伝えしたかったのです。

これからもいろいろな情報操作、ミスリードが増えて来ると思います。

それに惑わされる、巻き込まれることなく冷静に霊性にいてください。

そうすれば、いま何が起きているのか、大元が見えてきます。

大元が見えてくれば、どうすればいいかもわかってきます。

あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります」

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