紀尾井坂の変、翔ぶが如く
おはようございます
5月2回目の日曜日の朝です
昨日は地味に一日事務所で作業
午前中には来客2件ほど対応
あとはひたすら申請書類の作成
さて今から145年前の1878年5月14日は
内務卿であった大久保利通が現在の
東京都千代田区紀尾井町清水谷で
不平士族6名によって暗殺された事件
「紀尾井坂の変」
が起こった日だそうです
この変の実行犯は石川県士族島田一郎ら6名
島田一郎は加賀藩の足軽として第一次長州征伐や
戊辰戦争にも参加していたそうです
明治維新後も軍人としての経歴を歩んでいて
征韓論に共鳴し明治六年政変で西郷隆盛が
下野したことに憤激して国事に奔走していました
その後、神風連の乱、佐賀の乱、萩の乱に併せ
反乱を起こそうとしたが途中から大久保暗殺へ
方針を変えて機会を伺っていたようです
そして1878年5月14日大久保は自宅を出発
明治天皇に拝謁するため馬車で赤坂仮御所に向かい
同8時半頃紀尾井町通り沿いの清水谷公園付近を
通行していたところ島田ら6人の不平士族に
襲撃されますがら大久保は襲撃者たちを「無礼者!」
と一喝するも頭を中心に16か所も斬られ絶命
島田たちは大久保を暗殺するにあたり、
その理由を 記した「斬奸状(ざんかんじょう)」を持参
そこに書かれていたのは以下の5つ
その一、議会を開かず、民権を抑圧し、政治を専制独裁した罪
その二、法令を乱用し、私利私欲を横行させた罪
その三、不急の工事、無用な修飾により、国財を浪費した罪
その四、忠節、憂国の士を排斥し、内乱を起こした罪
その五、外交を誤り、国威を失墜させた罪
ただし、死後の大久保にはほとんど財産はなく
多額の借財のみしか残っていなかったとされています
大久保のラストはやはり
大河ドラマ「翔ぶが如く」が印象的でした
絶命寸前の大久保は懐から西郷の手紙を出す
大久保の脳裏に若かりし頃の西郷との想い出が蘇る
「一蔵どん、おまんさあはまだ、早かど」
西郷のその言葉とともに大久保は西郷の元へと旅立つ...
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
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