【考察】大河ドラマ「どうする家康」第38回!
おはようございます
3連休の3日目の月曜日の朝です
昨日は前日に引き続き
朝からずっと事務所で引き篭もって
ただただひたすら申請書類作成の一日
で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第38回
天下統一を果たした秀吉は鶴松を亡くした悲しみを
国外との戦に求め、10万を超える大軍を朝鮮にむけた
関白職を秀次に譲り太閤として権力を絶頂期の秀吉
江戸開発にいそしんでいた家康であったが
朝鮮出兵に苦戦を強いられているという裏情報をつかむ
家康は三成とともに朝鮮へ向かうという秀吉を必死に止める
そんな時、家康の前に茶々が現れるのであるが‥‥‥
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
大河ドラマも今回を含めてラスト11話
若干展開が先に進んだ38話でしたが
今回の話題の中心の一つが「唐入り」
いわゆる秀吉の朝鮮出兵は歴史の教科書では
文禄慶長の役といわれていますが
1592年に始まり1593年に休戦した文禄の役と
1597年の講和交渉決裂で再開し1598年の秀吉の死で
日本軍の撤退で終結した慶長の役の二つの戦い
日本の天下統一を果たした秀吉は大明帝国の征服を目指し
配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げる
秀吉は朝鮮に服属を強要したが拒まれたたことから
この遠征軍をまず朝鮮に差し向けたのが始まり
国内の完全制圧すると次にその勢力を国外に伸ばそうと
するのは権力者の常といえばその通りですが
しかし何故秀吉がこの戦いを始めたのか実は
その本当のところはハッキリしていないようです
諸説言われている理由としては
秀吉を支えてきた弟である豊臣秀長が病死
さらに8月には豊臣鶴松の死という不幸が相次いで
相次ぐ身内の死に悲嘆に暮れた秀吉の鬱憤によるとう説
秀吉の征服欲名誉欲があったとする説
当時、明とは国交がなく貿易もできなかったことから
明を服属させて貿易を行おうと
したという経済的な面から説明する説
国内の統一戦争が終わったため
不要になった兵力を国外に振り向けさせて
大名を統制しようとしたという説
ヨーロッパ勢力が進出してきたことに対する反発という説
このあたりが有力な説として言われているようですが
どれもその通りでありそうではありますが
しかしこれといった確証があるような証拠もないようです
で、次回は秀吉が最期を迎える?第39回「太閤、くたばる」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
画像の引用 Sangyeon YuによるPixabayからの画像